ケアマネの仕事は無くならないけど | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

 

(1)介護保険を利用するために必要なケアマネ

介護保険を使いたい時は、まず役所に申請し、要介護度が出たらケアマネの一覧表がついてくるので、そこでケアマネを探すという作業になる。自力で見つけられないという場合は地域包括支援センターに紹介してもらうという手もある。

ケアマネはケアプランを作り、サービス事業所を紹介し実行する。利用者にとってみればこれからどうするかの道を示してくれるキーマンがケアマネである。

 

(2)サービス事業所にお客さんを紹介するのもケアマネ

介護サービス事業所の営業先はケアマネである。ケアマネからお客さんを紹介してもらうというのが唯一といっていい集客方法である。

従ってサービス事業所を成功させるなら、自社でケアマネを雇ってそこから集客するという方法がなんだかんだ言って一番の方法になる。

だから介護保険が始まってしばらくは8割方のケアマネ事業所が赤字経営であった。それにもかかわらず事業を行えたのは、サービス事業所からの収益をケアマネに回したからである。

とするとケアマネの在り方は経営者からすると営業である。これで集客できなければケアマネを雇う意味が無い。

だからデイサービスなど独自路線を引けるところはケアマネがいなくても集客が可能である。

つまりケアマネの扱いというのは意外に難儀なものであった。

 

(3)制度が望む在り方と実際のギャップに苦しむケアマネ

それでもケアマネの役割は「身近な専門家」であり、自社の利益よりも利用者の利益を優先するというケアマネ憲章なるものまであるらしく、自社の利益を優先させようとする経営とは溝が出来る。

でもどちらが良いだろうか。

自社の利益を追求し、給料が高い。

利用者の利益を追求し、給料が安い。

言わずもがなではないだろうか。従ってケアマネはその狭間に立ち苦しんできた。人によっては経営者の悪口を言い、人によっては政治が悪い、行政が悪いと愚痴をこぼす。ただの対立構造しか生み出さなかった。

 

(4)それでもケアマネはやりたくない

それが最近はケアマネの単独事業所が増えてきた。それは加算を取ることでケアマネ事業所の収益が上がってきたことも要因だろうが、営利目的のプレッシャーからの解放を求めたケアマネがいたことも事実だろう。

しかしそれだけ配慮してもケアマネ不足は解消しないどころか深刻になりつつある。そこで逓減制と言って従来35件まで担当できるところを条件によってだが40件になったり50件まで担当できるようにするらしい。ケアマネの人不足を件数を上げることによって解消しようという、なんとも力業である。

 

(5)ケアマネの評価と専門性

それとよく言われるのが「ケアマネの専門性」

ケアマネの受験資格には医師・看護師の医療職や社会福祉士や介護福祉士といった福祉職まで様々である。勿論、医療職は医療に精通していると言えなくもないだろうが、どれだけ精通していても、実際にサービスを行う事業所が悪ければその専門性は発揮されない。

私だが、ケアマネを始めた当初、末期ガンの利用者が多かった。地域に緩和ケアの診療所かあって、そこからの依頼が多かったというのもあるが、いつの頃からか末期ガンに詳しケアマネといわれていた。それもその診療所がケアマネを始めて依頼が来なくなってからは言われなくなったが。

それで専門性と言ってもおそらくケアプランの作成とかの標準サービスは誰でもできる。要は高齢者の人生の最後をどのように寄り添い、一番負担のかかる家族の心にどれだけ寄り添えるかが必要だが、それを評価する事は極めて難しい。自分の評価をあの世に聞きに行くことは出来ない。

 

(6)ケアマネの今後

最初に書いた介護保険サービス利用のスキームが変わらない限りケアマネという職業は無くならない。そしてこれからも経営者との軋轢、職業として期待されている事と現実との矛盾に苦しみながら業務に当たることになるだろう。

 

何とか安上がりで物を作ろうとすると、こうしたぎくしゃくが起こるものという典型的なものではないだろうか。