(1)介護に求めるものとは
利用者や家族は何を求めているかという事。
イヤな見方をすれば「便利屋」「御用聞き」だと思う。それ自体は否定すべきではない。なぜならそれが利用者も家族も要望だからだ。それはケアマネとしても感じるところで、そもそも利用者や家族は何をどこまで頼んだらよいか分からない人がほとんどである。
(2)無料で何でもしてくれる人が良い
もうずいぶん前のケースだが引き継いだケースでこんなのがあった。前任者の前からケアマネが通院介助を行っていたというもの。ケアマネが通院に同行するのは医師から病状を聞く目的の為であり、通院介助という身体介護を行う事ではない。役所にも確認し、不適切事例といわれる。今では全国でこういう事は多く見られたため、必要なサービスとして加算も取れるようにはなったが。
そのケアマネがどういう経緯で通院介助を行う事を承諾したかは分からないが、私に変更する時点で通達する。利用者も家族も当然怒る。「前のケアマネさんは無料で何でもやってくれたからよかったんだけどね」と言われるが、こちらとしても不適切な事は行えないと断固とした態度を取る。この人は結局最後まで口をきいてくれなかった。
(3)中途半端な制度の犠牲になる介護従事者
自分の対応はケアマネとしては当然と思っている。もしこのままずるずると何でも引き受けてしまってはケアマネというのはただの便利屋に成り下がってしまう。中には犬の散歩までやらされるケアマネもいるという話を聞いたこともある。それは資格の価値を下げることでもある。
利用者もこうした自分の思っていた「やってくれるだろうこと」を拒否されて学ぶこともある。その為に犠牲になる介護職員は多いと思う。
場合によっては自費の何でも屋みたいのを紹介する時もあるが、結局は利用に至らない。どんな人が来るか分からないし、何よりもお金をかけたくないというのが本音だろう。
介護というまだ新しい概念は浸透していない。今はその下地を作る段階だが、成熟した頃にどういう制度になっているかは分からない。もっとも2025年のピークを越えればどうでもいいと思っているのかもしれないが。