虐待というのは難しい | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)虐待の判断は難しい

虐待ケースは過去いくつか担当した。

まず、虐待ケースとして認定するかどうかのハードルは高い。単純に手を出してしまっている、というケースでもそれが常態化しているのかによっても判断が変わる。また、それが家族にすれば、その行為が虐待と思っていないという事もある。

 

(2)虐待と認定されると

虐待と認定されれば本人の安全確保に動くことになる。私が担当したケースでは、本人がデイサービスに行き、そのまま施設入所という方法を取った。

家族にしてみれば、虐待の意識は無かったから、役所から通告された時は青天の霹靂の思いだったと後に話していていた。

家族が会えたのは、本人が病気を発症して病院に入院し、寝たきりになってから。

 

(3)虐待の対応は家族の介護負担の軽減?

この時思ったのは、入所が難しいと言われている施設にも措置入所でき、扶養義務が無ければ施設の費用などは本人の年金で賄われるので、家族へのペナルティは無い。結果、家族は壊れてしまうかもしれないが、介護からも解放されるという事にもなる。悪い言い方をすればだけど。

勿論、家族の介護負担と言うのは大変なものだというのは前提。しかしどこに限界点があるかは分からない。

親も子が自分の面倒をみるのが当たり前という事を言う人も多い。もうすぐ死ぬんだから少しぐらいわがまま言わせてくれという声を聞いたこともある。

 

(4)感情のバランスの上で

介護というのはするかしないか、して欲しいかそうでないか、様々なバランスの上に成り立っている。そのバランスが崩れた時に起こる問題がこの虐待問題なのだろう。

何かイラっとするとかでもいい。小さなことでも相談して欲しいと思うのだが、人それぞれの思いと言うのは難しい。それをジャッジするのはもっと難しい。

「家族が壊れる位なら、少しくらい手を出されてもいい」という人は今なおいる。その位家族というのは重いものという事なのだと思う。

本当はみんな負担なく、穏やかに暮らせればいいと思うが、貧困がこの世から亡くならないように、それは不可能な事なのだろうかといつも思う。