リザーブ選手は自己犠牲にあらず | ケアマネ時々卓球、時々その他

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久々に卓球の話。

 

パリオリンピックの代表に東京オリンピック金メダリストの伊藤美誠選手が落選した。それでもリザーブ選手として大会に帯同するかどうかという事で、本人は辞退の意向を示している。それについて賛否が渦巻いている。

 

東京オリンピック後の過密スケジュールや体調不良を心配する声、当然だが落選した事のショックに同情する声がある一方、「今まで支えてきてもらった恩を返さない」「本人の足りない事、わがまま」としてあげつらう声もある。

 

かつて「おしん」というドラマがあった。やはり日本では苦労する姿勢が好かれるようだ。

だから今回のケースも悔しい気持ちを押さえつつもリザーブ選手として代表選手を支え、臥薪嘗胆で頑張り、次のオリンピックで復活するというセオリーが日本人好みなのかもしれない。

 

それでそもそも。

リザーブで選手を支えるというのは、野球で言えばバッティングピッチャーみたいなものだろう。あるいは仮想敵。器用に練習相手を務めるとか、対戦相手に近い戦型であるなら、そのリザーブもあり得る。しかし彼女の戦型はどれも当てはまらない、独特の戦型で上り詰めた選手である。そういう意味でリザーブには向かないと言ったのだろうと思う。

 

大きな大会では結果が求められる。その為に必要な人材は過去のスター選手ではなく、結果に導くことができる参謀である。おそらく批判する人は「御恩と奉公」と「実務・実戦」を混同しているのではないだろうか。

 

これは様々な場面でもいえることだが、情を優先するばかりに組織が崩壊してしまうことだってある。隠蔽だって贔屓だってある。

 

その点、中国は割り切りが早いというか、どんなにスター選手でも指導者になるにはそれなりの資格がいる。

「自分のやり方」を押し付けるのではなく、研究の結果を的確に伝えられるスキルが求めらると聞く。そこには情が入り込む余地はない。

 

自分がトップになる事とトップになる選手を育てるという事は違うのだ。