「なぜ勉強するのか?」こう思った人は多いと思う。
自分もそう思っていたし、この年になって聞かれると「学生とか若いうちはバカでも可愛がってもらえるかもしれないけど、社会に出てバカなど信用されないし」くらいな返事が無難だろう。場合によっては「今しかやらないんだから勉強しておきな」とか。
しかし一度、予備校の授業で身震いしたことがある。
ちょうど「ハウンド・ドッグ」というバンドが好きで「AMBITHIOUS」という歌に「take a chance」という一節がある。日本語に訳すと「いっちょやってやる」
この言葉は浪人生という立場である私の魂を震わせた。
この言葉によって、絶対に大学に合格する!と心に誓った。
それ以来自分の中の応援歌になり、大学受験を乗り切れた思い出の一つである。
勉強をしていて苦痛なのは、何が分かって何が分からないか、それすら分からない事である。
そもそも「なんでこんなことをやらなくてはいけないのか」という押し付けへの抵抗であり、それが将来何の役に立つのかも分からない無駄な事のように思えることもある。
学ぶことは広い視野を持つ事が出来るようになる事、と綺麗ごとは言えるが、例えばコップ一杯の水がある。これをどう見るか。
国語で言えば「コップの中に水がある」
算数で言えば「○○CCの水がある」
理科で言えば「H2O」
社会で言えば「○○からくみ取った水」「水にまつわる歴史」
体育で言えば「水分補給の水」
たった一つのものだが、それぞれの見方があるはずだ。
そしてどの見方も正解である。しかしどこの立場によってみるかによって表現は変わる。
おそらく学校の勉強というのは、単純に知識の詰込みではなく、こうした広い視野を鍛えるものなのだろうと思う。
では勉強のコツはどういうものか。
以前、東大を出た人に難しい本を読むコツを聞いたことがある。
すると、一度で理解するとか、分からない事を書き出してなんて言う勉強方法は全くのナンセンスで、コツは分かっても分からなくても一回気合で読む。二度三度読んでいくうちに何となく分かってくるものだ、という事を言われてケアマネの試験はそれで合格した経験がある。
おそらく入試とか、資格試験というのはこのように対応するものなのだろうと思う。
でも、本当に学んで嬉しかったのは、魂が震える瞬間である。
そんな経験が出来た私は幸せかもしれない。