年賀状に思う、人間関係の継続と終焉 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

年末年始、誰に年賀状を書くという事は面倒であると同時に元気かなと思いを馳せる時間でもある。

今まで仲良かった人から来なくなったり、あまり仲良くはなかったけど毎年一言添えて年賀状が来る律儀な人もいたり。

 

最近の論破王と言われている彼。

場合のよってはハッタリかまして撃沈する事もあるが、記事のように本当に正論を言う時もある。

 

それで記事の内容だが、100%同意である。

 

「人には、それぞれの人間関係があります。「Aさんは、特別な人」「Bさんは、わりと大事な人」「Cさんは、どうでもいい人」 というように、無意識にランク分けしています。」(文中より)

 

これは良い悪いではなく、人との付き合いも有限であったり、浅い深いもあるから誰分け隔てなく万遍なくというわけにはいかない。どんな聖人君主でもあったその日から10年の付き合いの人のようにはならない。

 

しかし付き合いが深くなるにつれてランクが生じるのは当然であり、彼はその基準を「簡単な約束を守るかどうか」(文中より)で見極めるという。

 

これも100%同意。

 

仮に約束を守れない事態になった時は事前に連絡をして詫びるとか。

要するに自分に対して誠意をもって接してくれるかによってランクは変わる。

 

これは客観的事実ではなく、主観で良いと思う。

 

「はないちもんめ」という遊びがある。

「誰誰が欲しい♪」と言われて指名されるという事は嬉しいもの。

逆に最後まで残ると自分体らないのかなと思ってしまうかもしれない、考えようによっては残酷な遊びである。

 

だから友達がいないとか、付き合いが無いという人。

寂しい気持ちからか、今ある人間関係が全てと思ってしまうのも無理はない。

 

しかし、人というのは他人を自分の思いのままに操りたいという一面を持っている事も覚えておいたほうが良い。

特に年上の人は自分を軽く扱ったり、便利屋に使ってくるやつはいくらでもいる。

そういう奴と付き合っても、所詮はその域を出ないのだ。

 

去年、20年ほど入っていた卓球のクラブをやめた。

リーダーは「いつでも戻って来いよ」とは言うものの、今年は年賀状は来なかった。

今までそれなりに貢献はしていたと思う。

でも彼にとって私はその程度の人間だったのだ。

 

その時、クラブをやめたのは正解だと思った。

我慢してそんな人間関係を続けていても疲れるだけ。

修行にはなるかもしれないが、きっともっと良い関係が築ける場所はある。

 

それはどのタイミングで来るかは分からないが、念ずれば花開くと私は信じている。