それが出来ないから介護保険が始まった | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

「自助・互助・共助・公助」という言葉がある。

①「自助」には「自分のことを自分でする」ことに加え、市場サービスの購入も含まれる。

②「互助」は費用負担が制度的に裏付 けられていない自発的なもので相互に支え合っているという意味

③「共助」は介護保険などリスクを共有する仲間(被保険者)の負担

④「公助」は税による公の負担

 

もともとこのような「助け合い」で生きてきた。それが少子化、核家族化などにより出来なくなってきたという現実から介護保険という制度が始まった。

 

今、ケアマネの仕事をしながら思うのは、この「自助・互助・共助・公助」という考えがあっても介護サービスを必要とする人が存在するという事である。

 

人間関係の希薄は相互扶助の関係を作りにくい。

「困った時はお互い様」と言いながら自分には面倒なことは持ってこないでと思うものである。

 

日本人は良きにつけ悪きにつけ、「本音と建前」というのがある。

 

介護、というのはおそらく家族にとって厄介な事なのだと思う。出来れば関わりたくない。手は出さない代わりに口は出したい。ついでに相続も有利に進めたいというのが本音ではないだろうか。

 

きょうだい、親戚、近所が仲良く助け合ってというのが出来ればそれに越したことは無いだろうが、それが出来ないから介護保険という制度が始まった。

 

おそらく日本は古き良き時代に戻ることは出来ない。

いや、介護に関しては良き時代ではなかったかもしれない。

家で閉じ込められ、何をされるか分からないという事もあっただろう。その意味では高齢者にとっては悪い時代ではないかもしれない。

 

やはり、成功例というのは理想に過ぎないというか、そりゃできる人は良いけどねという感想にしかならない。