まさに自分がこれ。
私の例。
実家は稼業を営み、土地もある。兄弟は二人で私が長男。
なので子供の頃から「お前は家を継ぐんだ」という事はさんざん言われてきた。それは正しいと思う。命のリレーが行われる事。それは家という概念から反論の余地はない。
しかし「家を継ぐというのは財産を継ぐという事」だから、その財産で自分のいう事を聞かせようとしていたことは間違いない。まして兄弟は不仲。自分が家を出て財産を放棄したのであれば、財産はすべてもう一人に行く。それは絶対嫌だった。
とあるとき生前贈与の話があった。
「生前贈与すると、自分が寝たきりになった時にだれも面倒をみてくれなくなるからしない」と言われた。
親は自分の子であっても、虎の子を失う事に恐怖を覚えていたのだと思う。
様々な上下関係において、面倒も見ず、人としての魅力もなく、ただ威張っているバカな先輩は嫌われるだけである。
だから先輩としての威厳を保とうとするには金の力しかない。
私がこの呪縛から逃れられたのは親が死んでからである。
その時にはもう中年の独り身である。
とりあえず、何もなければ金銭的理由で自殺しないで済むことは出来そうだ。
でもそれ以外の事は挑戦する気もない。
戦国時代、乱世を生き抜くことが出来れば御の字という事だったであろうが、今の自分もそんな感じであろう。
おそらく反論は沢山ある。
違う生き方だってできたじゃないかと。
財産なんて自分で作ればいいじゃないかと。それが普通の生き方だし働き方だという意見もあろうと思う。
さらに言えば親に感謝できないなんて何事かという事もある。
そして自分で言えば後悔も沢山ある。というより後悔の塊である。
ただ、こういう生き方しかできなかったのは間違いない。
その自分の歴史を背負って今日も生きる。