小学校の習字の時間だったか、自分の名前を書いて、その意味を親に聞きなさいという宿題があった。
それで親に聞いたら特に願い事などなく、画数の良い名前をお寺でつけてもらっただけという味もそっけもない答えが返ってきた。さすがにそれで提出するのはいかがなものかと子供心に思い、それなりの事を適当に書いた記憶がある。
やはり名前というのは親の願いがこもった意味があると思いたい。
例えば女の子につける「子」という漢字。
「子」という感じを分解すると「一」と「了」に分かれる。
つまり始まってから終わりまで、という意味になる。
「幸子」なら生まれてから死ぬまで幸せにとか。
「悦子」なら生まれてから死ぬまで悦びにあふれる人生をとか。
漢字の作りの本来の意味ではないが、そのように願う人の気持ちに沿ったものと言える。
最近、キラキラネームという何だかおしゃれのつもりが意味不明な名前があるという。実際にそういう名前に合ったことは無いが、その子が老人になった時どうなんだろうと思う。
自分の名前は味もそっけもないが、今となってみればその無難さが良いのかもしれない。