何度が載せているが、ベランダから見える秋の景色。
ここ数年、夏の暑さの期間が長くなった。
子供の頃は8月の終わりになるとプールに入っていても秋の訪れを感じたものだ。それは過ぎてゆく夏休みを惜しむものか、宿題を提出しなければならない2学期の面倒くささか。
今は9月も真夏日のようで、10月に入れば秋の声が聞こえるんじゃないかという感じになるが、10月に入れば今年も残り3か月というカウントダウン。これも過ぎてゆく1年を惜しむ感情のように思う。
ここまで書いていて思うのは、過ぎてゆくものに対する未練とまではいかないけれど惜しみというものがあるという事。
それは一生懸命生きてきたからの事か、何気なく生きているという事からかは分からないが。
今自分は自宅で仕事をしており、サラリーマン時代のようなラッシュに乗る事も無ければスーツを着ることもない。
それは間違いなく自分で望んだものである。
「念ずれば花開く」というが、これが花開いたことなのだろうかと思う時もある。
食事も粗食(カロリー調整食だし)
ギャンブルもやらない
酒・たばこもやらない
出かけなければ夜に本当にすることもない
ドラマティックでない
心の動きすらない。
この何気ない日常を、自分は生きている。