「治部少(石田三成のこと)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」
この言葉で有名な嶋左近。「どうする家康」では関ケ原の戦い以降、行方知れずとなっていたが、その生涯については諸説あるとの事。
私が思うのは敗軍の将に仕える有能な参謀という立場の人。
関ケ原の戦いというのは、普通に考えれば西軍有利の戦いであったと言われている。それが小早川秀秋の裏切りで形勢が逆転し、一気に勝負がついたされている。
その状況をリアルに見ながら、彼は何を考えたのだろうか。
あの時にああすれば良かったという後悔か。
やることはやったという満足感か。
石田三成を支えきれなかった自分の不甲斐なさか。
そして死ぬときに何を思ったか。
全てが歴史である。