指導というもの、特にスポーツ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

数日前にも書いたが、スポーツにおいて指導する側とされる側の関係というのは重要だ。

 

「中山選手:先生に言われたりするんですけど・・・しっくり来なければ、やらなくてもいい?

イチロー氏:一度やってみる、しばらくやってみる。それで違うなって自分なりに答えを出したならそれはもう捨てていい。プロの世界でもコーチ、毎年変わる可能性があって。そのコーチの言うことを毎年聞いて自分の形を変えてたら、何が何だか分からなくなっちゃうから、しっかりした自分の形は、確固たるものをまず作る。その上で色んなアドバイスを取り入れるか入れないか、そういうスタンスの方がいいと思う。」(文中より)

 

スポーツは本来、その競技力を向上し、試合で勝つことが目的であるから、イチロー氏の言う事は本当にその通りである。

 

昔話になってしまうが、以前はスパルタ教育で、強い学校というのは一様に殴られ、怒られが当たり前だったように思う。

 

まさに軍隊。

 

つまり競技力が問われるのは当然だが、プラス従順というか先輩や指導者のいう事を聞くとか言う他の要素も求められた。

 

しかしそこから学ぶものは「人に気を使うこと」これを言ったら殴られるな、とか、ここまでだったら行ったほうが良いなというのを実体験で学んだのが昔の体育会の学生だったと思う。

体育会の学生が就職に有利と言われたのは、そうした根性や礼儀が社会に求められていたという背景もあると思う。

 

今はみんな仲良く、という感じで、目上の人に対する言葉遣いもなっていない奴がいる。

 

おそらくそういうやつは相手にされない。

記事のとおり、自分に甘く、鍛えることもしない。結果、それだけのものしか得られない。

 

自由とは聞こえは良いが、自らを律する厳しさも同時に求められているという事を忘れてはならない。