最近仏教をはじめ、さまざまな話をYOU TUBEで聞くことができる。しかし大体が難しすぎて理解が出来ない。
でもそれは当たり前の事。
おそらく宗教学というのは、その人間では理解できない事を一生をかけて追及していく学問なのだと思う。だからそこに「これはこういう事だ」という答えを簡単に出す宗教もあるが、それは浅はかと言うように私には思えるのだ。
さて、世の中はそのように複雑怪奇なもの、と考えることは出来るだろうが、逆にシンプルに考えることもできるという一例である。
以前、スピリチュアルが流行った時、「自分はなぜ生まれてきたか」「自分の生きている意味は何だ」という疑問は多くあった。それもメディテーションやら、アカシックレコードやらという手法や方法で追及していくという事もあったが、今になって思うと日々に忙殺されて、その内容も忘れてしまっている。
事実は今ここに自分が生きており、今の仕事をしている事、今の趣味をしている事。
般若心経の中に「色即是空 空即是色」という言葉がある。「色」は実体のあるもの。「空」は実体のないもの。
つまり「実体のあるものは実体のないもののようで、実体のないものは実体のあるもののようである。」という意味になる。
太陽はなぜ燃えているか
地球はなぜ回っているか
それぞれの仕組みは知っていても、そこに意味は存在しない。
では生きる意味とは何か、と言えば講和の通り「苦しみから逃れるためのもがく行為」と理解するのが分かりやすいと思う。
人間は生まれてから死ぬという事、これは変えられない。
その上で、例えば水だが、古来より人間に欠かせない水であるが、バイ菌なども多く含まれている。だから浄水場で綺麗にし、安全な飲料水として生活に役立っている。これは人間の進化である。
ちょっとシステムを便利なようにするだけだが、川の流れは変え途絶えない。
人間は肉体的な進化はあろうが、それはあまりにも時間がかかる。それであればせっかくなので精神的に進化しようではないかという事。自分のため、他人のために頑張る。
それでも死ぬという事は変わらない。
最近聞いた話で一番腑に落ちた話である。