毒親を切るのはいばらの道 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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人が結婚し、子供が生まれる。その子が結婚し、子供が生まれる。そうして血が受け継がれ、永遠の命となる・・・と言えば有史以来受け継がれた命のリレー。

言葉を選ばなければ愛は地球を救うとか。

本来であれば人の親になる事で一人前になるともいえる。

勿論、子供がいらない人生というのもあるだろう。そこで差別するとかそういう事ではない。

しかし、子供は親にとっても宝であるし、国にとっても宝である。それは大事に育てなければならない人としての使命でもある。

同時に子供は弱い存在である。

そしてまっさらな穢れのない存在である。そして一番身近にいる親は、子供にとって無条件で頼らなければならない存在である。そう考えれば子供は親にとって都合の良い存在になりえてしまう。

 

毒親の定義というもの、下記のサイトを参照にしたい。

 

全く自分も当てはまる。

そして今あるのは、なんでこんなことになったのかという後悔と恨み、そして焦燥感である。

 

今自分は独り身だし、生きていくだけの収入はある。

簡単に言えばいつ死んでも後悔はない。

この疲れから解放して欲しいとすら思う。

しかし自殺するわけにもいかないので、ただ時間を生きている。この時間はロスタイムなのだろうかとも思う時もある。

 

もし、親を捨てた場合、自分には幸せは待っていたのだろうか?

おそらく一人で生きていく図太さやタフさ生命力は無いように思う。そのいばらの道を行こうと思わせなかった時点で親の勝ちであると思う。

 

若い時、何でも出来るといろんな人に言われた。

離婚した時、まだやり直せると言われた。

 

とりあえず生きて行けるのだから贅沢だと憤る人はいると思う。親に感謝しろという人も多いと思う。

でも毒親に育てられるとこう思うのだ。

 

何はともあれ時間は過ぎていく。

それに他人にはどうでもいい事。