最近、この手の話をよく聞く。
いわゆる自己肯定感であったり、承認欲求であったり。
要するに処世術というのかもしれないが、堅苦しい生き方はやめようというもの。
でも、それはキチンと注釈をつけないといけない。
それは人を傷つけても良いという事ではないという事。
最近、「論破」という言葉が流行っているのか、失礼な態度でも相手を言いくるめてやっつけてやったぜ見たいにドヤ顔でいるやつを見かけるが、それこそ愚の骨頂と言うもの。
昔、私が予備校生だったころ、現代文の問題をめぐって講師と議論したことがある。
当時の私も生意気で「何でも好きに言うのが自由じゃないですか」と食いついた時、講師は「それはダメだよ」「周りを見て、自分の立ち位置を理解した上での自由だよ。自由とは回りあっての自由だよ」と諭されたことがある。
「自由」とは「ミズカラヲ ヨクスル」と書く。
自分の思うように好き勝手にして、自らを悪くするのであればそれは自由ではない。
「失礼なことをしても許される自分」ってカッコいい、と思っているのであれば、それが相手の怒りを買っていないか考えたほうが良い。その時に気持ち良いのは自分だけという事を分かったほうが良い。
言い負かされた方が結果上手くいくのであれば「負けるが勝ち」である。
要は自分と他人は違うという事。
自分が良かれと思っても相手はそう受け取らない事もあるし、逆もまたしかり。
相手に期待し過ぎない事が大切だと思う今日この頃である。