私は小学校の4年生くらいから学習塾に言っていた。
自分から行きたいなんて言う事ではなく、親が行かせたからだ。
そう考えると、幼稚園の頃からピアノを習ったり、スイミングスクールも行った。習い事は多かったと思う。
その上での学習塾だったが、自分では良かった思い出はない。
ハッキリ言えば勉強は嫌いだった。
それでも父親がいわゆる御三家と言われた学校を卒業していたし、姉もそういった学校に行ったので、比べらながら、否定されながら、強制させられながらの日々が続いた。
中学受験に失敗。
公立に進むことが決まった時から英語塾に通わされた。
今思うと自分にとっての勉強は何だったのか。
少なくとも楽しいものではなかった。
親にしてみれば、私にかけた教育費は無駄だったかもしれない。
思えばやりたい事もやらせてもらえなかった。
なんか、その頃の記憶は人生の修羅場のような気がしている。
親は私にどのようになってほしかったのだろう。
おそらく良い学校に行けば何とかなると思ったのかもしれない。それは父親は三男でありながら、やりたくなかった家業を継いだという事も関係あると思う。
私には意志を持ってやりたい仕事をして欲しいという事は願っていたと思う。
果たして、一つの目標である個人商店のオヤジにはなる事が出来た。
一応の意志をもって福祉の仕事をすることが出来た。
そう思えば、自分の人生は十分だったような気もする。
世の中に背を向けたり、犯罪を犯さなかっただけでも良しといしなければならないか。
何のための、誰のための人生だったのか。
おそらく死ぬときにそれを考えるのだろう。