殺人を美談にしない | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

世間に対するメッセージ、というように受け取っている。

介護を必要とする人が家族で出た場合、体が動かない、認知症になってしまったなど、本人にも家族にも突然降りかかる困難。そしてこれからどうなる事かと、いつまで続くかという不安、そして、その不安が終わればお別れを意味する事もあるあろう。

 

そこで死んだら自分が楽になるという発想。

死んでくれたら家族が楽になるという発想。

 

早く終わってくれないかなと思う事もあるだろうと思う。

 

しかし、大変な人はいなくなればそれでいいのか?

そして、自分が介護が必要となった時、「あんたが死んでくれたら、皆がどれだけ楽になるか」と言われたら?

それは排外主義と言わないだろうか。

 

以前、私が勤めていた病院での話。

寝たきりの状態の。気管切開もして呼吸もつらそうにしている。家族も早く楽にしてあげたいと医師に懇願。そのあまりの必死さに医師は薬を投与。老人は亡くなったという事があった。

 

結果、この医師は起訴された。

 

私が新人の頃だったが、この医師は本当に気さくで良い人だった。

 

おそらく、自分が犯罪者になる事を覚悟して、本人や家族を楽にしてあげたいという思いから出た行動なのだと思う。

 

しかし、今の法律では許されない事だ。

 

苦しそうにしている人を見殺しにするようだが、その時に殺すという手段を取らなかったことが、次の時代を作ることになるのだろうかとおもう。