「相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛
だからありったけの思いをあなたに投げかけられたら
それだけでいい」(さだまさし「恋愛症候群」)
今までにそれなりに恋をして、その入り口はやはり可愛い人と付き合いたいとか、自分が奪うものが中心になる。
それが、この人のために尽くしたいという愛に変わり、それが永遠のものになれば理想的だと思う。
おそらく出会いは何処にでもある。
それで「価値観が合う」とか「一緒にいて気が楽」というのは、お互いさまではあるが、自分が相手に求めているものでもある。
恋愛で相手に求めるのはどんなものでも構わない。その人の価値観によるもの。
しかし、結婚相手になると、その相手を信用できるか、という保険が付く。
確かに信用できない相手に尽くそうとは思わないだろう。
いくら騙されても相手に尽くす、というのが一昔前なら美徳ではあったが、今はありえない話でもある。それでもあるだろうけど。
お見合いなんかだと、その人の家柄とかも問われていたわけで、それだけで信用というものの証になっていたのだろうと思う。
つまり、昔は家というものが信用の担保になっていた部分があって、今はその家制度が崩壊しているというか、一億総中流社会というか、さほど差のない家柄に落ち着いている。
結婚と恋愛は違うというのがわずか6%というのは、それだけ恋愛の延長で結婚することが当たり前になってきたという事だろう。
それに結婚というもの、必ずしなければならないもの、という認識は薄れてきているように思う。チャンスがあれば一度はしてみたいとか、相手がいれば、とか。
家、というものを重んじて家系を絶やすなという事から個人の判断というものに変わっていく。
日本という社会も変わっていくのだろう。