在宅のケアマネが言うのもなんだが、高齢者の在宅生活は限界がある。
やはり24時間職員がいるというのは大きい。
何かあればすぐに対応できる。
逆に言えば、誰もいない時間に何かあっても良いという人なら独居で在宅生活するのも選択肢のうちに入る。
つあり在宅生活で介護をするというのは一定の介護力が必要だという事。私の場合、それが出来ない場合は一般論として施設入所を勧める。
だって考えて欲しい。
誰もいない状態でトラブルが起きて、誰も助けてくれない状態で何時間も、場合によっては何日も放置される事だってありうる。
先日も担当している利用者が入浴中に亡くなったという事例も起きた。
別に布団の上で亡くなるのがすべてではないし、風呂で亡くなったって、思い入れのある自宅で亡くなったのなら本人には悔いはないだろうとは思う。
しかし、残された家族や、賃貸だったらそのマンションのオーナーやそのあとに入る人やら。
場合によっては「事故物件」扱いになってしまう。
そう考えると、自宅で看取るという事はある程度状況を整える必要があるし、ケアマネとしてはそのように体制を整えてきた。
それでも、やはりなのである。
病気になりました→入院しました→退院許可が出ました。→でも要介護です→家族が面倒をみてください。なんて淡々と言われても、無理ってものです。
せめて在宅で生活できる見通しが立ってからしてよと言う人はまだしも、こんな状態で家にいて欲しくない、面倒を見たくないと思う人にはキツイだろうと思う。
ケアマネの勉強をしていると、本人の意思の尊重とか学ぶ。
しかし、それを支える人の意思と相反する場合、どちらかが犠牲になりますという、恐ろしい宣告をしなくてはならない。
なので、在宅でもお金で解決できるならそれでも良い。例えば単位オーバーになっても、介護サービスを利用することによって在宅生活が継続できるならそれに越したことは無い。
しかし、それ以前の問題で、その人がいることによって憎しみの感情が起き上がることもある。ちょっとしたサインだが、それが家族にとって我慢の限界かどうかを見極めるのもケアマネのスキルと考える。
ただ、我慢の限界点に近づいているとしても、受け入れてくれる施設が無ければどうにもならない。
記事には
①職員不足
②ユニット型で料金が高い
③旧来型の特養の方が人気
④最悪、無届施設
が言われている。
ふ~ん、そうしたら特養問題を解決するには質の悪い無届施設をいっぱい作ればいいのかしら?と思ってもしまう。
要するに他人には
・お金をかけない
・質は問わない
という事が透けて見えてしまう。
そういう風に思われるのは、数十年後のあなただよ。
自分の老後を含めて、介護はこうあってほしいという軸がないと中途半端な批判で終わってしまう。