靄の中のエピローグ | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

おそらく介護職員なら、それなりの研修を受けているものだろうと思う。

 

この間受けた研修も、人間がふと行ったこと、そしてそれを解決する手段がない時の行動。

つまり、認知症といえども人間の行動の一つであり・・・という内容。

 

万引きなどの犯罪行為→お金を支払うという事を忘れたとか、自分の家と勘違いしてものを持って行ったとか

 

そんな事はありえないというか、そんな勝手な、と思う事でも自分の中では正解という、なんというか。

 

要は集団生活とか社会生活とか常識と言われるものとの乖離。しかもアルツハイマーとか脳萎縮とか、病的な判断。

 

例えば徘徊して、信号を守らず勝手に飛び出し、運転する側がヒヤッとするような事もあるだろう。

そうした事故は、相手側も気の毒というほかない。

犯罪に問われないだろうが、そうした事故を起こしてしまったトラウマは簡単に消え去るものではないと推察する。

 

人が長く生きていけば、低下する機能は身体的にも当然ある。

笑って受け流せる心の余裕もなくなってくるだろうと思う。

 

自分がそうなったら

 

一番求めるものは「安心」だと思う。今の時点では。

 

別に認知症に限ったことではない。

 

今の世の中、安心して生きている人はどれだけいるだろうかと思う。

 

負けるな、逃げるなと叱咤された経験。

成績を上げると煽りに煽る先生、上司。

 

おそらく、頑張れるのも素質だし、能力だと思うが、そんな風に追われながら生きてきた人にとって、安心という安らぎはいつ訪れるのだろうと思う時がある。

 

昔読んだ小説で「靄の中の愁傷」という短編小説があった。

主人公の高齢者が、段々とぼけていく様をありありと書いている。最後、頭の中でプチっと音がして靄の中にいるようだとなる。

 

もしかしたらそうした靄の中にいることは大いなる不安であると同時に何も分からないのだからとすねて他人任せでいられるのであれば、ありかもしれないと思う時がある。

 

でも安心して生きたいな。

そうすれば心穏やかに、少しは出来るかもしれない。