「今僕は流れゆく時の静かな音を聞いてる(オフコース「流れゆく時の中で)」
自分というものが時間の流れの中で明らかに存在している。
その命というもの、何のために与えられてきたのだろうか。
記事の中にも「個人主義」という言葉がある。
何よりも自分さえ良ければよいという考えはすでにまん延している。人のために、という事はバカらしい、損するだけという事は今でも経験する事だ。
面倒なことは出来るだけやりたくない、人にやってもらいたいという事は良く経験した。押し付けられもした。それに押し付けた人間こそ、自分が面倒なことをやってやったという顔をする。
それを単純に性格の悪さで片付けられるものだろうか。
余裕のなさか、生きる術か
この時期だから戦争の話も。
今の時代なら、他人のために特攻なんてできるだろうか。
自分の命と引き換えに大切な人が一日生きながらえてくれたなら
自分の命の価値は十分にあるんだなんて今の人は考えられるだろうか。
自分の身を危険にさらしてまで他人を助けることが出来るだろうか。
しかし、それを美談として片付けられてしまうか。
もしくはバカだと嘲笑されるだろうか。
「もらった命」という言葉もある。
死に瀕した時とか、難病を克服した人が使う。
そうした人は命の価値はそこに存在する。
本日(8/18)昼間はどんよりした曇り。
そんな事を考えている。