※「治療」の記事が長かったので、2つに分割しました
(2)の方はそれに伴い、加筆修正しております。
今回の体験を通して、
やっぱり大切なのはまず
「心の痛みをなくすこと」
なのだと実感しました。
エーテルコードに限りません。
どんな方法でも良いのだと思います。
好きな趣味に没頭するもよし、
スポーツするもよし、誰かとおしゃべりするもよし。
ポイントは、本当に痛みが無くなる状態になること。
傷にフォーカスし過ぎない方が、良いこともあります。
ほら、気持ちをそらしたら
ケガの痛みがやわらぐことがあるでしょう?
あれと同じです。
それにしても、
なぜつい我慢してしまうのか、を考えてみました。
私の場合は、
傷つく人間は弱くてカッコ悪い
弱くてカッコ悪い自分を、見せたくない
→見せても、受け入れてもらえない
→見せたら、責められる
そもそも痛みを感じる自分が間違ってる
→敏感すぎる自分が悪い
いつも笑顔でいなければならない
→笑顔でなければ認めてもらえない
痛みを伝えたところで助けてもらえない
・・・などという思い込みがあるようです
傷を無理に覆い隠してしまうと、
いつまでも治癒しませんから
結局、何度も似たような痛みを味わう羽目になります
きっと、早く「治療」した方がいいから、
心がエマージェンシーコールを鳴らしているんでしょうね。
あと、過去にはこんなこともありました。
親や好きな人が自分を傷つけるわけがない
→きっとこの痛みは勘違いだ
こちらに痛みを与えた相手を恨みたくない
→だったら自分が我慢するしかない
でもこれ、結局傷を重ねていくことになるんで、
正直に痛みを認めるよりもずっと
恨みや怒りを溜めこんじゃうんですよね。。。
痛みを感じるのは、自分が「生きてる」証拠です。
そこに、良いも悪いもありません。
だから、「痛い!」と思っていいのでしょう。
泣き喚いてもいいのでしょう。
そう、我慢しなくていいっっ
で、少しずつ、自分に合った「治療」を
探していけばいいんでしょうね。
傷が癒えて元気になれば、
いろんなことが
ちゃんと自然に見えてきますから。
この作業がやがて、
自分と
自分とつながる人を
大切にする一歩 になっていくのだと思います
(長~~い文章を読んでいただき、ありがとうございました!)