事実の側面 (1) | 梢の先に・・・ 

梢の先に・・・ 

  美しいものは、あなたの中に。
  マンダラアートからのメッセージをどうぞ♪

うまく言葉に出来るかわからんですが・・・

書いて行きます。


少し前に、「なるほど!」と感じた言葉がありました。

よくお邪魔するブログ『Care of the Soul』の記事



私たちが

「その人をありのまま受け入れよう」としているとき、

受け入れようとしているのは、相手ではなく、

「その人に対する自分の解釈、判断」です。



↑コレです。


わかりやすい例をあげてみますね。


例えば夫が片づけが苦手なタイプで、

(脱いだ服がそのまま、とかそういうレベルねあせる

何度注意しても直そうとしないとき、

「あぁもう、これがこの人なんだよなぁ~」

とため息をつきながら、いったん受け入れて、

そこからどうしようかを、考えます。


これを、「夫をそのまま受け入れている」と

思っていたんですが、受け入れる前に

ある”前提”があることに気づきました。


私が散らかっていることが

全く気にならないタイプだったら、

ため息をつくような心持ちにはならない。


だから、相手がどうというのではなく、

自分の在り方・考え方がどうか、

という問題なんですね。


職場や友人など

様々な人間関係において生じる軋轢は

結局のところ”そこ”に起因するのだな、と。



これに納得したのはすごく良かったんです音譜


・・・が。


そこから変な方向へ、思考が飛びました。


(今から思えば、”引っ掛かり”だったみたいです)



 
「待てよ?そんならつまり

 それぞれの自己都合 で

 世の中は動いているってこと?」




もし夫がめっちゃ片付け上手で

ついでに料理なんかも出来ちゃったりしたら、

「超ラッキーラブラブ」とホクホクするでしょう。


職場で「えぇえ~?汗」と感じる出来事が

もし理想通りに改善されたら

「離れたい!」などとは思わないでしょう。


私がこんな風に考えてしまうように、

他のみんなも

「自分の都合の良いようになればいい」

と考えて日々を過ごしています。


それこそ、当たり前のように・・・。



結局はみんな、「自己都合」。


小さくは身近な人間関係、

大きくは国家間の争いまで、それは紛れもない事実です



”そこ”を見つめたとき、


「そうね。そういうものよね・・・ダウン


と、すーーーーっと心が冷えてしまいましたガーン



(理屈ではなく、感覚としていきなり襲われたのです。

 冬将軍到来雪の結晶 みたいな・・・)


心が身体に連動したのでしょうか。

風邪をひいてしまいました。。。カゼ



「待てよ。

 これは何か、事実とは別に

引っ掛かるモノ”が私の中にあるはず。」


そう感じて、ゆっくりまた、

探索の時間をとることにしたのです。


(長くなるので、次回に続きます。スミマセンあせる











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