うまく言葉に出来るかわからんですが・・・
書いて行きます。
少し前に、「なるほど!」と感じた言葉がありました。
よくお邪魔するブログ『Care of the Soul』の記事 の
私たちが
「その人をありのまま受け入れよう」としているとき、
受け入れようとしているのは、相手ではなく、
「その人に対する自分の解釈、判断」です。
↑コレです。
わかりやすい例をあげてみますね。
例えば夫が片づけが苦手なタイプで、
(脱いだ服がそのまま、とかそういうレベルね)
何度注意しても直そうとしないとき、
「あぁもう、これがこの人なんだよなぁ~」
とため息をつきながら、いったん受け入れて、
そこからどうしようかを、考えます。
これを、「夫をそのまま受け入れている」と
思っていたんですが、受け入れる前に
ある”前提”があることに気づきました。
私が散らかっていることが
全く気にならないタイプだったら、
ため息をつくような心持ちにはならない。
だから、相手がどうというのではなく、
自分の在り方・考え方がどうか、
という問題なんですね。
職場や友人など
様々な人間関係において生じる軋轢は
結局のところ”そこ”に起因するのだな、と。
これに納得したのはすごく良かったんです
・・・が。
そこから変な方向へ、思考が飛びました。
(今から思えば、”引っ掛かり”だったみたいです)
「待てよ?そんならつまり
それぞれの自己都合 で
世の中は動いているってこと?」
もし夫がめっちゃ片付け上手で
ついでに料理なんかも出来ちゃったりしたら、
「超ラッキー」とホクホクするでしょう。
職場で「えぇえ~?」と感じる出来事が
もし理想通りに改善されたら
「離れたい!」などとは思わないでしょう。
私がこんな風に考えてしまうように、
他のみんなも
「自分の都合の良いようになればいい」
と考えて日々を過ごしています。
それこそ、当たり前のように・・・。
結局はみんな、「自己都合」。
小さくは身近な人間関係、
大きくは国家間の争いまで、それは紛れもない事実です。
”そこ”を見つめたとき、
「そうね。そういうものよね・・・」
と、すーーーーっと心が冷えてしまいました
(理屈ではなく、感覚としていきなり襲われたのです。
冬将軍到来 みたいな・・・)
心が身体に連動したのでしょうか。
風邪をひいてしまいました。。。
「待てよ。
これは何か、事実とは別に
”引っ掛かるモノ”が私の中にあるはず。」
そう感じて、ゆっくりまた、
探索の時間をとることにしたのです。
(長くなるので、次回に続きます。スミマセン)