或る時、田舎に行く途中でリヤカーの中でこんな怪我をした事がある。

私は、リヤカーの進行方向に対してリヤカーの上でうつ伏せになっていた。

そして流れる地面を眺めていた。うつ伏せになって流れる地面を眺めているのが

なんとなく面白かった。すると地面に何かが落ちているのを発見し、それを

拾うとした。しかしリヤカーは前に進んでいる。そのある物を拾おうとした瞬間

私の頭は、地面とリヤカーの底の間に入り込み、私の体は一回転しておでこを

怪我してしまった。リヤカーを引いていたお婆ちゃんは物音にビックリして

振り返ったら、私が地面に転がっているのを見て駆け寄ってきた。おでこを擦り剥いた程度の怪我でお婆ちゃんも一安心したのではなかろうか。その時のおでこの傷はいまだに残っているが。

私は幼稚園に上がる前までは、しょっちゅう母親の実家のある田舎に遊びに行き、田舎で過ごしていたお爺さん子、お婆さん子だった。だから、お婆さんが家に来たときには嬉しかった。なぜなら、一晩だけ泊まって翌日には、田舎へ帰るのだが、帰るときには、必ず私も一緒にお婆さんについて田舎へ行けるのが嬉しかった。私が住んでいた家から田舎の家までは約一里(4km)あり、お婆さんはリヤカーを引いて帰るのである。

私はリヤカーに乗かって田舎に向かうのであるが、

途中、安倍川という川に差し掛かる手前が上り坂になっており、この時には、

リヤカーから降りて後押しをよくしたものだ。そうすると、お婆ちゃんは必ず

駄賃をくれた。その駄賃を貰うのが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

こんなわけで、お婆ちゃんと一緒に田舎へ行くのが実に楽しかった。

話は少し前に戻るが、鮮明に覚えていることがもう一つ他にある。

私が5歳のときに家が全焼する火災に見舞われた。

私の父はその時、下駄工場を経営しており、従業員も5人ほどいた。2階建ての家で、家に隣接して工場があった。

火事は夜中の2時過ぎごろに起こった。その火事に見舞われた晩は、父親は大阪のほうに出張中であった。2階には母親と2歳の妹が寝ていた。

私の叔父さん夫婦は1階の玄関に近い6畳間に寝たいた。この叔父さん夫婦も私の父親の工場で働いていた。 実はこの叔父さん、母親の兄貴、が将来私にとって父親のような存在になっていくのであるが、それは又後で述べることにする。

静岡の田舎から出てきていたお婆ちゃんと私は一階の8畳間に一緒に寝ていた。