閉鎖
とうとう、2次避難所の役目が終わる。
今日も朝2組の方が石巻へ戻っていった。
須田さんご夫妻。佐須の浜へ。
ぼうげんさんからもちょうど荷物を抱えて出てきた方がいて、
お会いできた。
福貴浦へ。レンタカーで帰るそうで、沢山のダンボール。
そこには支援物資の文字。
そこがまだまだ「被災者」さんと呼ぶのがふさわしいような、
それはもう終わりにしたいような・・・
車の前で無言で握手し続けて泣けてきた・・・朝から涙。
あんなに(石巻)近いのに今日はやけに石巻が遠く外国のように遠く感じる。
また会えるよね~
この半年間がんばりましたね。
お互いきっと心でそう会話してるように感じた。
みんな頑張り続けてる。
私は青根に残るけど、みなさんはきっと想像以上に地元にも戻っても
仮設や壊れた自宅で仕事に追われることだろう。
毎日手伝いに行きたい。
沢山物資も運びたい。
「たっくさん志隊」ことだらけでいっぱい。
打ち合わせ(鮎川)
2か月ぶりに牡鹿半島 鮎川「清優館」まで行った。
久しぶりに、一人で全行程運転。
じゃなかった~石巻で佐々木君ピックアップ。
というか運転もチェンジ!
そこから、ひとまず助手席で休憩しつつ、メールチェックしたり、電話したり資料準備したり・・・やることに取り掛かかる。
だって午前中11時半まで蔵王町宮
青根に一度もどってトイレに寄って、それからお昼も食べずに
川崎インターへ。
ちょうど1時間10分で石巻港インター着。わればがら順調!
っていうか何キロだしてんじゃい![]()
きっとこの道のり知ってる方には無謀って言われてもおかしくないかも![]()
そんなかんじだったんです。
さて、14時に間に合わない!って思って保健師さんへ電話すると先生、14時半ですよね~?と微妙な雰囲気![]()
ありゃ~![]()
よかったんだか、
まぁ遅刻は免れたので結果オーライ![]()
さて総勢12名で行われた会議ですが、まず、出てくる地名に追いつけず。
さすがの私も地図出して周りの方と確認しながら話を聞く。
鮎川はいいとして、、、
ここで打てない字ばかり・・・
これから東北大永富先生の研究室と一緒に共同事業となる本格的な
「被災地健康運動支援事業」
これから冬を迎えるし、アクセスも悪い。
何といっても以前と違うのは、自宅の方はもとより、仮設入居者の把握。
まだ、どこに仮設があってどんな方がいるか未知の世界。
そんな中でまずは地区を決めようとしてる。
だれも決めかねてる。
確かにいくら包括さんでも在介さんでも保健師さんさえも、
これからどうなるかはっきりとわからず、言えないのが本当によくわかる。
もどかしそうだ。
まずは地元の意見を尊重しこちらも併せていく・・・としか答えられない状況。
大変だけど、
140キロあるけど、
3時間かかるけど、
はじっこだけど(宮城県の)
島もあるけど(網地島)
なんだか楽しみかもしれない。
そう思うのは私だけ?
台風が来た!!!
この前西日本を襲った巨大台風被害に、うちの息子はテレビを見て、津波津波![]()
と大騒ぎだったのに・・・
昨日から未明の掛けてとうとう東北地方も見逃してはくれなかったようだ![]()
悲しい現現実に胸が痛む。
そしてあわただしく、私たちの周りでは支援どうしたらいいか?
議論になっている。
まずは現場確認が大切。
実は青根温泉ではそろそろ、退去の日が近づきお彼岸連休も重なり引っ越し予定の家族がちらほら決まっていた。
ところがこの有様。
牡鹿に至っては、行くことすらできずに引き返してきた方もいる。
ニュースでみても心配でしょうがない。
明日とにかく行ってくるとのこと。
2か月前に行ったきりだけど、どうなっていることか・・・
こうしてみると、近ければ近いほど、身近なほど自然災害はリアルに来るものがある。
私はこれからどうしたらよいか?
お布団が濡れてやしないか?
米はあるのか?
他に困ってることはないか?
とにかく目に見えるものしか思い浮かばないのがくやしいけど、
そこから始まるなら「おせっかい」でもいいね。
「遠刈田・青根元プロ」洋子さんとも、早速相談した。
困ってるもの、ことから取り除いてあげるしかない。
先は見えずとも、とにかくやるしかない。
大きなプロジェクトではなく小さなプロジェクトを