今日の東京は、雨。
梅雨の時期には、おうち遊びが多くなるので、
小さいお子さんがいる方は、家で、折り紙などを使って、
七夕飾りの工作をやってみては、いかがですか?
お願いごとを書く「短冊(たんざく)」や七夕飾りをつるすためのひも、
ティッシュペーパーの「こより」
を作りました。
盆踊りやお祭りなどで、ヨーヨーすくりをするときにも、
ティッシュペーパーのこよりは、大活躍ですね!
<作り方>
1.ティッシュペーパーを縦に裂く。
2重になっているものをはがして、1重でも十分強いひもになります。
2.あとは、親指と人差し指、
または、親指と中指で、
クルクルクルクル、「より」をつけていくだけで、できあがり。
こんな感じに結んで、笹につるします。↓
飾りは、これからもっと作り足していくつもりです。
ちなみに、去年作った、七夕飾りは、こちらです。↓
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<おしらせ>
2012年12月に、同居していた母の病気が発覚し、
壮絶な闘病生活の末、2013年4月末に、亡くなりました。
スポーツマンで元気だった母が、症状もないままに、
検診で再検査と言われ、突然「末期がん」と言われてからの毎日は、
家族全員、毎日頭をフル回転させて、
「何が最善か」を考えながらの、試行錯誤の日々でした。
入院、手術、退院、
化学療法(抗がん剤治療)、緩和ケア、
入院、退院、入院、退院...、
介護保険申請、
そして、
(車いす・酸素ボンベ持参での航空機搭乗、
現地ホテルにも酸素の機械設置という問題を乗り越えての)
飛行機での2泊3日家族旅行、
在宅酸素、在宅医療での、自宅での闘病生活。
家族みんなで、母を支えました。
そして迎えた、最期。
突然、同じような境遇におかれた方のお力になれるように、
いつか、今回のことを本にしたいな、と思っています。
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私は、今まで、
「がんで介護保険が申請できる」ということも知りませんでした。
介護保険制度で認定された途端、
「ケアマネージャー」さんが家に来て、
あれこれ説明されて、とまどってしまった私たち。
在宅看護の看護婦さんたちが家にドッと来て、
「患者」ではなく、「お客様」と言われ、
落ち込んでしまった母。
結局、在宅看護は断りましたが、
事前に知識があれば、もっと対応は違ったはず。
(介護保険申請はしましたが、
母の場合、介護保険制度は利用しませんでした。)
私たち家族は、
在宅医療、在宅看護についても、全く知識がなかったため、
いざ、母を退院させる、というときに、
どう動くことが最善なのか、ほとんど考える余地もなく、
あれよあれよ、と流れに流されてしまいました。
反省事項も多いです..。
また、
抗がん剤治療(化学療法)について、
結局は、母の場合、残念ながら、「全く効かなかった」のですが、
効かないと初めからわかっていれば、やらなかったのに、と後悔。
大腸がんには珍しい、スキルス性の、進行の早いタイプでした。
あんなにつらい副作用。かわいそうだった..。
でも、あの時は、「効いてほしい」と願っていたから、
「やらない」という選択はできませんでした。
そして、治療法がないとわかってからの、代替医療について。
何が正しいのか、何を信じていいのかわからず、時間との戦い。
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ということで、しばらくブログ更新がほとんどできませんでしたが、
だいぶ気持ちも落ち着いてきましたので、
またブログ更新していきたいな、と思っています。
これからも、よろしくお願いします!
<2013.6.16追記>
母は、4月28日に亡くなりましたので、昨日、6月15日が、49日にあたります。
母が亡くなる時、庭の「モクレン(紫木蓮、シモクレン、マグノリア)」の花が、
とてもきれいに咲いていました。
これは、2013.4.4撮影の写真。
そして、これは、2013.4.10の写真。
その後、花は散ってしまいましたが、
なんと、49日の昨日、庭のモクレンが2度咲き。
またたくさんお花をつけていました。
なんだか、不思議な気持ちになりました。
これは、
2013.6.16の写真です。(今日撮影した写真です。)
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ちなみに、庭の花々を大切に育てていた母ですが、
母が亡くなった日、ふと庭を見ると、
前の日まで、きれいに咲いていた、庭のお花たちが、
無残に散っていました。
台風の後のように、倒れてしおれていました。
家族みんなで、泣きながら、お水をあげました。
こういうことって、あるのですね。
・・
薬の小分けケースの手作りに。↓
https://ameblo.jp/hanya-sama/entry-11445940799.html
<2020.6追記>
七夕の「五色の短冊」について、書いたブログです。↓
https://ameblo.jp/hanya-sama/entry-12597001112.html