例えば、今年が天中殺の年だと知ってると、
「天中殺だし注意しとかなきゃ!」「大人しく過ごそう・・」など予め意識して注意するものですが、
そうすると、目の前に転がる躓きそうな石も何となく避けられ、青タンやスリ傷を負わずに済むし、
雨の日に新しい靴で出かけても、足元に注意するから、ツルっと激しく滑ったりしないもの。
そんな風に、予め「こういう時だと知っておく」と、
自分で意識し、気をつけるものなので、禍も最小限に出来たりするものです。
天中殺などは、知っていれば割と意識がいくものですが、
例えば対冲や害など散法が巡る時、しかも破など普段そこまで意識されないようなものが、
後々ご相談者様から、「その時は特に注意しようと意識してなかったのですが、あの時言われた○○が、、この事だと後になって分りました」と言われたりします。
例えば、
破には、1つに「自分の殻を破る時」という意味があり、
自分の殻を破る時というのは、痛みを伴うものですが、
その痛みのプロセスを経るからこそ、膿出ししたり、前進したり、変容していくきっかけにもなるわけです。
意識していなかった事で行動を起こした末に得たのが、自分を更新するきっかけになったり。
意識して避けられる『しんどい事』『都合の悪い事』は、なるべく避けたいと思うのが人間の心理ですが、
すっかり忘れてた・・とか、意識してなかった・・からこそ、
かえって、その体験による影響力をストレートに受け、本人にとって大きな学びになる、という事も多々あります。
だから、「転んだ事で自分自身を成長させる」
「体験をもって、気付きや学びを得る」 時と捉えれば、
害だから、刑だからと、四六時中意識してあらゆるリスクを避けようとするより、
どこかでそれが頭から吹っ飛んでいて、
新しい靴で勢いよく家を飛び出したら、雨だった事を知らずツルンと滑って尻もち、靴も脱げた・・
ことで、想定外の学びや成長のきっかけを手にする事もあるのです。
天中殺や散法を悪の様に捉え、意識し過ぎる事で、多くのリスクや難を避けられても
想定外や不意の経験から自分を成長させ、磨いてくれる学びのカケラを拾い損なう場合もあるということ。
道に転がる石に躓き、激しく転んだその石は、後で洗ってみたら、
思いのほかキラキラの石で、宝物にしたくなるかもしれない
意識して気をつける、注意する、予防するは勿論大切であると同時に
敢えて、意識しない、事で得られるものもあるということです。
それに、「これはダメ」「あれもダメ」とその間意識し過ぎると、何より疲れます。
天中殺や散法=悪、ではありません。
その間の痛みや気付きが、後々にかけがえのない宝になる事もあり、
それも人生を歩む道程で得られる恵なのです。
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