お風呂で考える。 | 日々是好日写真日記

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ここ3日程パソコン離れをしていました。
パソコンを触らなくなると、色々考え事をしたり、子供と遊ぶ時間がいつも以上に楽しく思えたり、以外に暇な時間が出来て、なかなか有意義な時間を過ごす事が出来ました。
今後は時間を決めてするのも良いかもしれませんね。少し心が落ち着いた様な感じがしました。
それでもブログは今まで通り続けていきます。

お風呂で考えていた事を書きます。
お釈迦様が戒律を造ったのは、僧侶が集団、所謂サンガが教団を形成していく為の決まり事であるのは誰もが承知の事。破戒を行った者に対しては周りの僧侶がその僧侶の処分を決め、懺悔をするか、教団を追放されるかです。
じゃぁ、この現在で、ほぼ無戒に近い状態で昔の戒に照らし合せて、破戒を行った者はどうなるのか?
単に破戒といっても、段階があります。軽い物から重い物まで。
一番重いのは殺生戒です。他には教団を分裂させようというのも重い重罪です。

例えば、以前にも挙げました、仏像を売却した者がいました。これはどうなるのか?
仏教者として、仏像を売る。これは仏教者として有り得るのか?
信心が無いが故に、そんな暴挙が出来るんでしょうけど、いくら厳しい修行をしようが、立派な事を言おうが、それは全てが嘘になります。
これは教団を形成していく上で大きな妨げになるのではないか?サンガを形成していく上での律を大きく破っているのでは無いでしょうか。
今後、教団として、この者に何かしらの処罰、あるいは追放という形を取らないと、お釈迦さんが定めた戒律が意味を成さない気がします。それが律であり、教団維持が出来なくなってきます。
それなりに対処をしないと、宗派其の物の存続が、遅かれ早かれ消滅していく事になるでょうね。それが律だと思います。

信心も無い人間を教団に置いておく必要もなければ、仏教者を名乗る必要もない、いや名乗らせてはいけないと思います。

そんな事をお風呂で考えてました。
長く浸かりすぎたので、のぼせました・・・
また明日。

では。