今月で試用期間が終了すると報告を受けた。
そんなはずはないと社員ルールを見せて確認。
社員ルールには2ヶ月以上を経た翌1日、と明記してある。
1、「納得できないのでルールを変えてください。」
わが社のルールは、私から見ても厳しい。
ルールの見直しも必要かと思い、上司へ提案を伝えることを約束。
しかし、ルールはルール。
社員ルールを作成したのは、当の報告者である。
そこで、ルール変更があったとしても次回から適用と伝える。
2、「勘違いしていました」
その社員ルールを作成した彼女に明記箇所を示すと「勘違いしていました」。
勘違いは会社の責任ではない。
ルールに従う、気持ちは理解できるが、正しいやり方に従うことを伝える。
3、「労働法で試用期間は60日間以下と決まっています」
予想通り、戦う意欲満々である。
気持ちどうこうではない。金額どうこうでもない。
正しいか、正しくないかである。法律に従え、とのこと。
こういうことにムダに時間がかかるのがこの国である。
面倒とはいえ、ハイハイ言うことを聞いていると図に乗るので断固応戦しなくてはならない。
4、「それは私の責任です」
それでは労働法に従わず、社員ルールを作成した彼女の責任は?
その問題をやんわり指摘したところ、「私の責任です」とのこと。
自分の責任を認めるのは、評価するところ(この国では評価対象)
しかし、「私の責任です」といっただけでは何の解決にもならないのですよ。
こちらが論点をずらしても仕方ないので。
ベトナム労働法32条
The employer and the employee shall agree on a trial period, the duration of the
trial, and the rights and obligations of the parties. The wage of the employee
during a trial period must be at least seventy (70) per cent of the wage for the
relevant rank of the job. The trial period shall not exceed sixty (60) days in
respect of works which require specialized or highly technical skills, or thirty (30)
days in respect of other works.
①雇用者と労働者で合意すること。
②試用期間は60日を超えるべきでないこと。(shall not)
よって、60日以上であったとしても、雇用者と労働者で合意できていれば
法律違反にはならないということではないか。
5、「法律は問題ではない。みんなの気持ちの問題です。」
法律を説明したところ「気持ちの問題です。」とのこと。
でた!論点のすり替え!話が違う・・・
私としては、金額に大差あるわけでもないし、その意図からも試用期間は2ヶ月もあれば十分だと思う。
よって「気持ち」としては、彼女のルール変更案も検討、承認したいところ。
しかし、”本来はルール通りにすべきを、みんなの気持ちを思い、改訂した”という思いやり的要素は
一切通用しないのである。
つまり、ここでルールを変更しても「当然でしょ」という反応をされるのがオチ。
そして一回容認すると、それが”普通”になりどんどん文句を言うようになるのも良くあるケース。
そしてそして、彼女の「責任」をどうすべきか・・・
ルール変更ひとつにしても、大変。
対雇用者への結束は固く、労務問題は最も厄介な仕事である。
某総務担当美人のアドバイス、VN人の扱い方。
VN人は自尊心が高い。
たとえ親であろうと「〇〇をしなさい!」と言われたら決してしない。むしろ逆のことをする。
しかし「〇〇をしてくれると助かる」「あなた/みんなのためになる」と言われるとする。
労働者と雇用者は対等である。
よってたとえ年上/上司といえどキツイ命令は絶対NG。
労働者は労働を提供しており、その対価として給与を得る。
雇用者の「給与を支払っているのだから言うことを聞け」という態度は
彼らの自尊心を傷つけ、「給料なんかいらない!辞めてやる!」という結果を導く。
⇒VNで雇用をする場合は、労働者と雇用者は対応であるということを忘れないように、とのこと。
さて、興味深いのは「労働者は労働を提供しており、その対価として給与を得る。」ということ。
彼女曰く「座っていることで給与をもらっているのではない。」
労働とは、では一体何なのか?
彼らの働き方を見る限り”言われたことをこなす”ことに思えて仕方がない。
労働=作業であり、そこに結果、効率、改善、提案、向上という要素が見えない。
指示されたことを、いかに早くこなすか、あるいは相手がわかりやすい形にするか
それは例えれば多少精度の良い機械を導入するようなもので、価値の創造という面では意味がない。
つ言われた作業をこなすこと、それは「座っていることで給与をもらっている」ことと
限りなく近い気がしてならない。
私が前の会社を退職した理由は、座っていることに給与を支払われていると感じたからである。
”長くは勤めない”とされていた女性社員に割り当てられる仕事に対し、
スピード、わかりやすさ、的確さなどは上司にも評価を得ていたものの
自分の学んできたこと、考え方、個性を発揮できる「創造」には限界を感じ、
それはつまり給与=拘束時間への対価と感じられた。
労働とは何か、報酬とは何なのか、何に対する対価なのか。
同世代、一日本人労働者として、彼らと話してみたいと感じた。
極度の「教えて」体質。
分からないことはすぐ「教えてください」
できないことはすぐ 「教えてもらってません」
自分の能力のなさはすぐ「教えてもらっていないのでできません」
簡単なことでも自分で調べたり、過去の例を倣うことをしない。
例
・PCの文字化けを直す(NETとか詳しい人に聞きなよ!)
・外国の法律について(NETで英語に訳されてるの探しなよ!)
・会社情報について(電話で問い合わせたりHPみなよ!)
・情報登録の仕方(マニュアル読みなよ!他の登録例みなよ!)
聞いた方が早いことや良いことがあるのは事実だけど
○投げはだめですよ。
こっちだって専門家じゃないんだから、どうするべきか考えて欲しい。
今日も法律関連で「そこ???」ということを質問されたので
笑顔でメールで問い合わせるようにアドバイスしちゃったもんね。