コミュニケーションとダイアログ | 日々に、折々に…

日々に、折々に…

折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 コミュニケーションとは日本語においてもあたりまえに使われる 「コミュニケーションをよくして」とか「コミュニケーションを深める」とか… しかしながら、そもそもコミュニケーションcommunicationはコミュニケートcommunicate(伝える、伝達する、伝わる など)の名詞形である コミュニケーションとは一方向に伝わること、うつっていくニュアンスが強い つまり、コミュニケーションでは伝える側よりも受ける側が大切となる よくいわれるが、「誰もいない山奥で一本の木が倒れた 木が倒れた音はしたのか?」という問い 音はしないのである 音は発せられたとしても、受け取り手がいない限りその音は音として、成立しないのである 受け手がいて初めて音が認識され、「木が倒れた!」「この大きな音はなんだ?」とかの反応となる つまり反応や受容がない限りコミュニケーションは成り立たない コミニュケーションではまず受け手、つまりきき手がいないとはじまらない コミュニケーションでは反応があり、受容や拒否やさまざまなものになっていく そして、よきコミュニケーションとするために調和する いや、よきコミュニケーションでなくともなんらかの調和が行われているように思われる コミュニケーションの質がどのようなものであるかによってよき社会がつくられるとの趣旨を安冨歩東京大学元教授はいっており、対話によってコミュニケーションの質は高まる 対話とはDialogであり、双方向にコミュニケーションがおこなわれる 対話に対する独白monologueを考えるとき、独白も受け取り手がいて初めて独白が成立することがわかる 対話を含む双方向のコミュニケーションは人と人との関係を豊かにし、よき社会の基盤となっていく 
 では、対話のキモはなんだろう それは相手に対する敬意というか尊重というか いかにしてよき関係性を作り出し、「信頼」というものを気づいていくのか これなんだと思う