虹なのかそれとも彩雲か | 日々、折々…

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折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…


 「彩雲は、太陽の近くを通りかかった雲に、緑や赤など多色の模様がまだらに見える現象」とウィキペディアにある 昔から瑞相の一つとされ、この彩雲が現れることは吉兆、つまりよいことが起こるというわけである 

 美しく7色が見えているのできっと虹であろうとその続きをさがしてみるのだが、まったく見あたらない 彩雲なんだろう 虹を見てもそうだが、どこか非日常的な美しいものを見るとその美しさに憧れ、きっといいことがあるに違いないと願いをかける 

 近代科学はすべての現象を科学的に説明してきた 一気に世の中は魑魅魍魎などいるわけもない、明瞭にすべて理屈で論理的に説明できるのである しかし、人々は神や仏に手を合わせ、ご来光をみては思わず手を合わせたり、願いをかける それは…と説明できるのであろうが、そんなことを超える何かがあるのである

 それは人がとんでもない「偶然」や「運」の中で生きているからではなかろうか 「運も実力のうち」などとよくいわれるが、それは後付けの結果論であって、「実力も運のうち」だと思うのだ なにか不幸や災害に見舞われた人に「運も実力のうち」などといえるのだろうか 自分の身にそのことが降りかかっていたかもしれないのである 

 だからこそ、人は何かに願いを託し、美しいものを見ては吉兆のだと心を躍らせるのである 生きるというものは大海に浮かぶ小舟のようなものなのである ひたすらに願い、自分に与えられた「生」をひたむきに生きるのである