満月の夜 | 日々、折々…

日々、折々…

折々に浮かびくることをとりとめもなくつづってみました 風の音を聴きながら…

 満月の夜だった 一昨日の神々しいまでの輝きとは少し違い、薄い雲のかかるソフトな十五夜 これもまたよし

 
 夜もすがら 独りみ山の 真木の葉に 曇るもすめる 有明の月 
 
 新古今和歌集におさめられた鴨長明の歌である 長明は世を儚み、方丈の庵をむすんで「方丈記」をしたためたが、この歌はまだ宮仕の頃のもののようだ 「よどおし一人で、深山の木の葉から、曇っているが澄んでいる、有明の月を見ていた」というような意味となるのだが、のちに世を捨ててしまって隠棲することを暗示しているかのような歌と読んでしまう 長明は下鴨神社の禰宜をめぐっての政争に巻き込まれ、願いが叶わず世を捨ててしまうのだが、時代は平安時代の末期 院政時代から平清盛をはじめとする平家時代、そして、鎌倉時代を迎えようかとする時代である 権力をめぐっての戦も多くあったが、大火事、大地震、竜巻、飢饉など世の中が荒れ、混乱に混乱した時代である それも日本三大随筆の一つとされる方丈記には記述がされている
 混乱の中にも人々の営みはあり、それを少し離れたところから眺めているかのようなこの随筆は、コロナの時代にもなにかを教えてくれるのではないかと、本を手に取ってみている
 それにしても、日本という国の文化の豊かさに改めて感じいる 1000年前にこのような記述がなされ、しかも、それが残り、それを現代の言葉として読むことができる 確かに原本にあたることはとんでもなく大切であるのだが、一方で「広がる」「豊かになる」という意味では、現代の言葉に置き換えられ、現代の我々の感覚と重ねることができるのはなんとも素晴らしい 万葉の時代から、海外から物資を入れ、文化を取り入れてきたわが国だが、漢字を取り入れ、ひらがなやカタカナを作り、日本的なものを形作ってきた それは「概念」においても同じことが言えるのではないだろうか 明治期にもたくさんの新しい言葉や概念が入ってきたが、それらにも日本の言葉をあてて、またはつくって、日本語で学んだり読んだりすることができるのだ 例えば、freeは「自分を由とする→自由」と坂本龍馬がしたとされる そこにはより広く、より多くの人にという考えが間違いなくある 正義があるのだ
 言葉と音楽は、その民族にとっての文化そのものであるが、これだけ豊かな文化を持つ日本のお国はなんとも文化に冷たい これは冷たいを通り越えて、永久凍土級である 
 ということは、いつの時代も民が文化に興味を持ち、文化を愛し、支えてきたのだろう