みなさんこんにちはHandlerです。
先日知人がご逝去された。
僕と出会ってからはあまりにも短く、あまりにも急いだ人生を送った方でした。
激痛を訴え入院されてから僕はお見舞いにも行けずじまいだった。
退院され会うチャンスもあったのに…
お見舞いも会うのが辛いんじゃないだろうか?などと心配するも、そろそろ聞いてみても
良いころだろうか?そんなことを思い始めたら、悲報を受けることになった…
僕より少し年上でも僕の顔を見れば、ニコニコと話しかけてくれる。
見かけによらずと言っては故人に大変失礼だけれど、アイススケートがとても上手い。
僕の周りにいる友人の中では一番プロっぽく滑る。
木工作家の顔も内心この人がこれを造ったのか……と、作品と故人の第一印象に違和感を
覚えたほど。面白く意外性のある人だなって思ってた。
そういうやり取りがこれからも続くのだと実際思っていたし、退院後には男子会でもやって、
賑やかに快気祝いをしたいと考えていたから、残念どころの話じゃなくなってしまった…
今こうして個人を思いながら人とのことを考えてみると、今元気だと思える僕の周りにいる
たくさんの知人や仕事仲間、親や兄弟が明日いなくなるかもしれない。
もちろん自分自身の場合もある。
いろんな毎日の積み重ねで、まぁいいかと明日を期待することは、担保のない約束なんだと
故人に教えられたように思う。
何も死をもってそんなことを教えなくともいいじゃないかと思う。
今日仕事の合間に故人のSnapを探して観てみた。
実にいい笑顔だった。いつも優しく笑っていた気がする。
忘れないようにしたい。故人の事。
明日お別れに行きますよ。
あっちでのんびり楽しくやってください。