エリサベス・チェイス・シリーズの第1作。主人公は霊能力者。交通事故死に不審。(「・ω・)「にゃおー [?]
エリサベス・チェイス:超心理学者
アルバート・チェイス:エリザベスの父
スーザン・サラ・チェイス:エリザベスの母
リンダ:エリザベスの友人
ジャニス・フリーマン:“パシフィック・プロパティーズ”社員
スタン・エリス:同
キャリー・エイムズ:同人事部長
アラン・H・カッツ:同元社員
ターニャ:アランの元恋人
ケイティ:ターニャの娘
ポール:ジャニスの父
ルー・アン:ジャニスの継母
トーマス・マクガウアン:巡査部長
エリザベス・チェイスには、幼い頃より特異な能力があった。それはいわゆる「霊感」と呼ばれるものだろうか。ある対象に何か不幸なことが起きると予感したり(それが的中することは、彼女にとってはごく自然なことだった)、それが何を意味しているのか明確にはわからなくても、目の前の人物にカラフルなオーラが見えたり、死者の存在を感じ取ったりと。残念ながらと言うべきか、それは彼女の意思で自由自在に感じ取れるものではなかったけれど。
彼女は己の能力が特異なものであると自覚するとともに、心理学を学び、研究機関で超常現象の実験を重ねた。研究機関の資金が底を尽きた後には、心理療法の診療所を開いたが、ある日、行方不明の少年についての新聞記事を読んでいるときに、ふと、ある住所が目の前に映像として現れた。それを警察に告げたことをきっかけに、彼女は犯罪捜査に協力する身分となった。
ジャニス・フリーマンの死は単なる交通事故によるものとして処理された。曲がりくねった道路で、泥酔者による対向車とともに、崖下へと転落。運転者は両名とも死亡。
しかし、死亡した片方(泥酔していないほう)の運転者・ジャニスの旧友である、警官・トーマス・マクガウアンはそうは考えなかった。彼は元々は決して超常現象など信じてはいなかったのだが、ちょっとした奇妙な体験をしたことはあると、認めないでもなかった。そんな彼が彼女の死が単なる事故ではなく、殺人と考える根拠はないのだが、事故現場を訪れた際、なぜか思ったのだ。これは殺人だ、と。それは頭を離れず、彼はエリザベスを訪ねた。
※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。
エリザベスは、相手から発せられるオーラを見たり、相手の所有物に触れて、何らかのイメージを感じ取ることができる。しかし、それは完全にコントロールできる能力ではなく、時折起こりうる程度であり、しかもその感じ取ったイメージも不完全で、ほとんどの場合は、何を意味してるかまでははっきりとはわからない。
ともかく、そういう能力を持っている設定だと、予め読者に知らせておいてくれるならば、ミステリとしては問題ないと思う。(物語の終盤になって、「実は超能力者でした!」なんてことなら論外だが)
しかし、この作品は推理物ではないね。エリザベスはただひたすらに関係者の周りをうろついて、ある人物に会うためだけに、またウロウロ。警察が既に事故として処理したというのをいいことに、お目当ての人物を捜すのに一苦労して、数ページ。そんな過程は、本来なら3行もあれば済む話。銃撃されるのもまったく無意味。さんざんうろうろした末に、とりあえず関係者の家に入ってみれば、そこは麻薬の製造工場。誰かがやって来たので、クローゼットに隠れてみれば、そうとは知らぬ犯人がペラペラと犯行について喋り出す。推理小説ではなく、捜査小説と言うべきか。それにしても、警察がきちんと捜査していれば、エリザベスの行動は必要なかったのではないか。
せっかく主人公を超能力者という設定にしてるのに、それを活かしてるとは言い難い。作中で披露される、彼女の超能力は、ある物事を調べる際の、都合のいいきっかけ作りみたいなもの。普通のミステリならば、探偵が何かを調べることにした理由を、作者はでっちあげるのに苦労するが、本作はその辺りを手抜きしただけのように思える。
主人公は超能力者で、題名が「蠍座の殺人(MURDER IN SCORPIO)」と来れば、もう少しミステリアスな物語にもならないものか。発端のジャニスの死すら、そこに幻想的な謎めいたものなど何もない。とにかくすべてが地味。主人公の設定と、物語とのバランスが悪すぎる。おそらく、作者にとっては「超能力」というのは“ファンタジー”ではなく、法医学やケーキ作りと同じような、“リアル”なものとして描きたい対象であって、それが僕の感覚との大きなズレを生じさせてしまうのだろう。
エリサベス・チェイス:超心理学者
アルバート・チェイス:エリザベスの父
スーザン・サラ・チェイス:エリザベスの母
リンダ:エリザベスの友人
ジャニス・フリーマン:“パシフィック・プロパティーズ”社員
スタン・エリス:同
キャリー・エイムズ:同人事部長
アラン・H・カッツ:同元社員
ターニャ:アランの元恋人
ケイティ:ターニャの娘
ポール:ジャニスの父
ルー・アン:ジャニスの継母
トーマス・マクガウアン:巡査部長
エリザベス・チェイスには、幼い頃より特異な能力があった。それはいわゆる「霊感」と呼ばれるものだろうか。ある対象に何か不幸なことが起きると予感したり(それが的中することは、彼女にとってはごく自然なことだった)、それが何を意味しているのか明確にはわからなくても、目の前の人物にカラフルなオーラが見えたり、死者の存在を感じ取ったりと。残念ながらと言うべきか、それは彼女の意思で自由自在に感じ取れるものではなかったけれど。
彼女は己の能力が特異なものであると自覚するとともに、心理学を学び、研究機関で超常現象の実験を重ねた。研究機関の資金が底を尽きた後には、心理療法の診療所を開いたが、ある日、行方不明の少年についての新聞記事を読んでいるときに、ふと、ある住所が目の前に映像として現れた。それを警察に告げたことをきっかけに、彼女は犯罪捜査に協力する身分となった。
ジャニス・フリーマンの死は単なる交通事故によるものとして処理された。曲がりくねった道路で、泥酔者による対向車とともに、崖下へと転落。運転者は両名とも死亡。
しかし、死亡した片方(泥酔していないほう)の運転者・ジャニスの旧友である、警官・トーマス・マクガウアンはそうは考えなかった。彼は元々は決して超常現象など信じてはいなかったのだが、ちょっとした奇妙な体験をしたことはあると、認めないでもなかった。そんな彼が彼女の死が単なる事故ではなく、殺人と考える根拠はないのだが、事故現場を訪れた際、なぜか思ったのだ。これは殺人だ、と。それは頭を離れず、彼はエリザベスを訪ねた。
※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。
エリザベスは、相手から発せられるオーラを見たり、相手の所有物に触れて、何らかのイメージを感じ取ることができる。しかし、それは完全にコントロールできる能力ではなく、時折起こりうる程度であり、しかもその感じ取ったイメージも不完全で、ほとんどの場合は、何を意味してるかまでははっきりとはわからない。
ともかく、そういう能力を持っている設定だと、予め読者に知らせておいてくれるならば、ミステリとしては問題ないと思う。(物語の終盤になって、「実は超能力者でした!」なんてことなら論外だが)
しかし、この作品は推理物ではないね。エリザベスはただひたすらに関係者の周りをうろついて、ある人物に会うためだけに、またウロウロ。警察が既に事故として処理したというのをいいことに、お目当ての人物を捜すのに一苦労して、数ページ。そんな過程は、本来なら3行もあれば済む話。銃撃されるのもまったく無意味。さんざんうろうろした末に、とりあえず関係者の家に入ってみれば、そこは麻薬の製造工場。誰かがやって来たので、クローゼットに隠れてみれば、そうとは知らぬ犯人がペラペラと犯行について喋り出す。推理小説ではなく、捜査小説と言うべきか。それにしても、警察がきちんと捜査していれば、エリザベスの行動は必要なかったのではないか。
せっかく主人公を超能力者という設定にしてるのに、それを活かしてるとは言い難い。作中で披露される、彼女の超能力は、ある物事を調べる際の、都合のいいきっかけ作りみたいなもの。普通のミステリならば、探偵が何かを調べることにした理由を、作者はでっちあげるのに苦労するが、本作はその辺りを手抜きしただけのように思える。
主人公は超能力者で、題名が「蠍座の殺人(MURDER IN SCORPIO)」と来れば、もう少しミステリアスな物語にもならないものか。発端のジャニスの死すら、そこに幻想的な謎めいたものなど何もない。とにかくすべてが地味。主人公の設定と、物語とのバランスが悪すぎる。おそらく、作者にとっては「超能力」というのは“ファンタジー”ではなく、法医学やケーキ作りと同じような、“リアル”なものとして描きたい対象であって、それが僕の感覚との大きなズレを生じさせてしまうのだろう。