引退ブログ 篠崎航介 ~ほんとうにありがとう~ | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

お疲れ様です。
4回生の篠崎です。



冬季公認をもって、阪大水泳部を引退しました。



引退から一日経った今の気持ちは、選手としてもマネージャーとしてもやり切ったという気持ちが強いです。
でもすごく寂しいです。いつもみたいに曽根行ってみんなと話すことはなくなるし、土曜日に練習→筋トレ→ミーティングって一日中みんなと過ごすこともなくなりました。
まあでもいつか必ず引退しないといけないので、良いタイミングだったかなと思っています。



2020年8月に体験練に行って入部してから、3年と4ヶ月が経ちました。

この期間、幸せだったことも、嬉しかったことも、辛かったことも、苦しかったことも、たくさんありました。



部活を通して、僕が経験したこと、考えたこと、みんなに伝えたいことを、ここに書き留めておこうと思います。



大したことは全く書いていません。信じられないぐらい長くなってしまいました。原稿用紙にすると18枚分みたいです。自分語りが多いかもしれません。でも、自分が伝えたいことはこの文章に込めたので、読んでもらえたらうれしいです。



5部構成でお送りします。よろしくお願いします。




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①自分が部活にいる理由、水泳を続ける理由



皆さんが、この水泳部に入ったきっかけってなんですか? 



インカレ行きたい
全国公行きたい
泳ぐことが好き
勧誘されて行ったら雰囲気良かった
なんとなく



人それぞれみんな違った理由があるのだと思います。



僕にもみんなとは違う理由が2つありました。



高校3年の引退試合である6月の中央大会に、僕は体調不良で出場できませんでした。前日に発熱し、熱が下がらないまま引退試合が終わりました。



不完全燃焼で水泳をやめて受験勉強してた頃のモチベーションは、全国公の存在でした。



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(高3の12月のスクショ)



50mFrの制限が、団体権で当時のベストからあと0.2秒。絶対国公立に行ってこの試合に出たいなって思ってました。



全国公という舞台
これが僕にとって1つ目の理由です。



しかし受験が終わって入学の頃には、この気持ちは正直弱まっていました。
だから、3月の体験練には行きませんでした。



体育会ってやっぱりハードルが高く感じてたし、もともと自分は虚弱体質で人より病気がちな部分があり、ちゃんと朝練に行ってしっかり練習して部活を継続できるかも不安でした。



この時に2つ目の理由が僕を水泳部入部に導きました。たけるが来年阪大の水泳部に入ってくるかもってなったことです。



皆さん意外だと思うんですけど、実は僕たけると仲良いんです。小5で出会ってから高校までずっと同じで、中高はもちろん同じ水泳部でした。



そんなたけるが浪人で阪大受けるつもりってのを同じ時期くらいに知りました。たけるとあと3年同じ部活で練習できる可能性があるなら、自分は水泳部に入るしかないって思いました。



そんなこんなで体験練に行き、入部を決めました。



人によってそれぞれ水泳部に入った理由があると思うんですけど、この理由ってのがやっぱり大事で、自分を引退まで頑張らしてくれる要因なのかなとは思います。



全国公はこの3年間、僕にとっていつも憧れの場所で、自分のモチベーションになってました。

たけるは、僕をどんな状況でも頑張らせてくれる、頼りになる存在でした。



みんなには、部活に入った時に抱いていた気持ちをずっと大事にしていてほしいと思います。



水泳部にいて、不満やしんどい経験が全くないという人は少ないと思います。部活を辞めたいって思うこともあるかもしれません。モチベーションが思い通りに上がらない時だってあると思います。



そんな時は、自分が水泳部に入ったきっかけを思い出してみてください。何かヒントをくれるはずです。




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②対抗戦決勝の舞台



僕たちの代はコロナの影響で2020年8月に入部したので、1回生の年は対抗戦がありませんでした。


2回生になって、全国公を目指して練習していましたが、春の短水路では制限を切れず、浜名湾短水路に遠征に行きました。


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(写真これしかなかった…)



50mFr:25.03


残念ながら当時の制限には0.19秒足りず、全国公は居残りが確定しました。



7月の奈良スイムピアであった関国が、僕にとって人生初の対抗戦でした。僕は半フリと1フリに出て、ベストで泳げて嬉しかったのを覚えています。



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(懐かしの奈良スイムピア)



でもそれより、同期のみんなや先輩たちが、阪大を背負って決勝に出て、点をとって、チームを盛り上げている姿をたくさん見ました。



純粋にすげえ、かっけえって思ったのですが、それ以上に悔しいって思いました。



自分が泳力的に、その人たちに及ばないことは理解していたし、頑張りが足りないことも自覚していました。でも、普段一緒に泳いでいる仲間があんなに輝いてる姿を見て、どこか悔しさを感じている自分がいました。そして自分もこの舞台に絶対に立ちたいって思いました。



あの日から、対抗戦の決勝は僕にとって目標であり最も憧れる場所になりました。



そこから冬シーズンに入って、僕は全国公切りを目標に練習しました。11月は高槻の短水路に出ました。


50mFr:24.64


あっさりと全国公団体権制限記録を切ることが出来ました。あの瞬間はめちゃくちゃ嬉しかったです。



でもここで自分のスイッチが完全に切れてしまいました。そこからの3回生のシーズンは本当にダメなシーズンでした。



練習は積めてたし、実際ベストも更新することは出来ました。でも、明確な目標を持ってなかったし、本気で水泳に取り組めてなかったです。だから実際、悔しさを感じないどころか、今振り返ってもあまり記憶にありません。



それに気づいたのが、全国公で1フリ最下位をとった瞬間でした。このままではあと1年、何もしないまま、ひとつもチームに貢献できないまま引退を迎えるかもという危機感を持ちました。



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(全国公に出れたことは嬉しかったけど、自分を変える良いきっかけになった)



ひろきのおかげもあって、引退まであと1年で自分が達成したい目標、それに向かってするべきことを整理しました。


目標は【関国の決勝で泳ぐこと】にしました。


就活も重なって、練習ができない期間もあったけど、ラストイヤーの1年間は、自分ができることは全てやり切ったという気持ちがあります。



冬の間は全く調子が上がらなくてほんとに苦しんだけど、合宿1日目の練習のアップのフリー泳いだ瞬間から、急に良かった時の感覚が戻ってきました。鈴鹿で感じたあの感動は今でも忘れません。



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(死ぬほどきつかったけどめちゃくちゃ成長できた)



そしてそこからぐんぐん調子が上がって、ちょうどピークで春短を迎えました。半フリでチャレンジレースを泳ぎました。慣れない入場で、信じられんぐらい緊張したけど、その日の1本目で出したベストをさらに更新するレースが出来ました。



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(いっぱい応援してもらえて嬉しかった。結局半フリ短水の生涯ベストレース)



この試合から応援が解禁されて、大学であんなに自分が応援されたのは初めてでした。たくさんの声が聞こえました。全国公の短水制限は割れなかったけど、泳ぎ終わった後もいろんな人に声をかけてもらえて、すごく嬉しかったです。



そして、僕が1番狙っていた関国を迎えました。10月に目標を決めたあの日から、7月1日に向けて練習してきました。密かに自分の部屋に、7月1日までのカウントダウンカレンダーを作ってました。



個人の半フリでは決勝には届かなかったけど、4継で初めて決勝の舞台を経験することができました。



ひろきととうごがインカレを切りに行ってたから回ってきたリレメンだったかもしれないけど、自分にとっては1番タイムを出したいレースでした。



憧れの対抗戦決勝の舞台で泳げて、たけると5年ぶりにリレーが組めて、1つ上の先輩たちも含めたたくさんの人に応援してもらえた場所で、1年ぶりの1フリベストが出せて、本当によかったです。



みんなが期待していた結果ではなかったかもしれないけど、ほんの少しだけ、チームに貢献できた気がしました。



対抗戦の決勝はやっぱり特別な舞台やし、あの場所で泳がないと感じれないものがたくさんあるのだと思います。



あの4継が終わったあと、大学で水泳を続けてよかったと心から思いました。せいや、きょうたろう、たける、ありがとう。



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(1番近くでたけるのこと応援できた)




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③最後のレース



最後のレースを何にするのか、これは僕のラストイヤーの永遠の悩みでした。



僕の中でのテーマはこの2つでした。
①レースが終わった後にやり切ったと思いたい
②特別な思い入れのあるブレは泳ぎたい



冬季公認まで選手として残る選択肢ももちろんありました。
でも正直オフもしっかり泳いで12月までモチベーションを持ってやり切る自信はありませんでした。だからFrに関しては、今までずっと自分が目標にしていた全国公にしました。



でもBrへの思いも捨てることができなかったので、ちょうど良い時期にあった夏季長を最終レースに選びました。



全国公最後の1フリはベストは出なかったけど、最後にたけると同じ組で泳げて、ラスト5mまで競り合って0.02差で勝てました。嬉しかった。



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(この画角で写真撮るの憧れやった)



1ブレも後半爆死したけど、泳ぎ切ったあとめちゃくちゃ楽しかったと思えました。 



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(最後のレースフライングが怖すぎて、スタート置きに行ったのがちょっと悔やまれる)



今はこのような形にして良かったと思っています。全国公からの1週間いろいろ教えてくれた阪大の最強ブレチームの皆さん、本当にありがとうございました。




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④泳ぐ人と見ている人



この話をする前に前提として、僕はこのシステムを否定するつもりは全くないし、むしろ泳力の高い人が試合に出て活躍することは、当然のことだと思っています。

また、特定の誰かや特定の属性の人を批判するつもりも全くないです。

また僕個人の意見なので、誰かに同意を求めているわけでもないです。意見が違うなと感じた人は、それはそれでもちろん正しいことだと思います。


とかいう前置きを置いておいて、本題に入りたいと思います。



今から話すことは誰も悪くないけど、誰も悪くないからこそ難しいと感じた話です。



対抗戦には3面というシステムが存在します。
夏シーズンは、特定の試合に出れる人と出れない人がチームに共存する状態になります。一時的にチームのメンバー間で向いてるいる方向が違う瞬間が生まれます。



この時に3面としてレースに出場する人には、レースまで100%の取り組みをする義務があると思います。調子が悪いからといってレースの前から諦めたり投げやりになるなら、自分じゃない他の人がその枠で泳いだ方がいいです。



レースがない人は役員やその他多くの面で、自分も泳ぎたいという気持ちを必死に押し殺してレースがある人たちのことをサポートしてくれてます。その人たちの気持ちを踏みにじるような行為は絶対に許されません。



僕は運良く経験した3シーズンの対抗戦は、なんらかの個人種目に出場させてもらいました。正直実力で掴み取った3面は一回もなかったし、結局個人ではチームに貢献することはできませんでした。



でも枠をもらったからには全力でレースに挑む。これだけは絶対守るようにしてました。

特に最後の関カレは前日まで体調を崩していた中ではあったけど、その時できる100%の取り組みをしてレースに臨んだつもりです。



もちろん誰かのタイムが良かったり、決勝でアツいレースをした時はチームとして盛り上がることはできるけど、その雰囲気の中でどこか疎外感を感じてる人がいるかもしれません。またそれを見てむぬふりをしている人がいることも事実だと思います。



back numberの水平線という曲の中にこんな歌詞があります。

「歓声と拍手の中に 誰かの悲鳴が隠れている」



世の中の物事全てに当てはまることではあると思います。でも誰かが一言声をかけてあげることでこの悲鳴は消化されて、全く違う方向に変わることもあると思います。
「来年こそは出ようね」とか「まずはこのタイム出したら決勝も見えてくるな」とか。



難しい時期やからこそチームが2分化するのではなく、コミュニケーションを大切にして、1つのチームとして夏を乗り切ってほしいと思います。




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⑤マネージャーとして



夏季長が終わってから冬季公認までの期間、マネージャーとしてチームに携わらせてもらいました。



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(撮:吉野 遠い割には画質いい)



もともとマネージャーという仕事はやってみたいと思っていました。色々考えて自分がチームに貢献できる方法はこれだと思って、マネージャーとして残ることを決めました。



これまでとは全く違う視点から部活を見て、たくさんのことを感じました。



しんどいところで頑張っている人、めっちゃ返事してくれる人、メインになると集中力が圧倒的に高まる人、いろんな面が見れました。



やっぱり自分たちのコールやサークル出しの声に返事を返してくれるとすごい嬉しいです。
マネージャーは練習中は案外孤独だと思います。だからこそ自分の声出しに返事してくれることで、一緒に練習してるんだってゆう気持ちになれます。書き取りに対するLINEのリアクションとかもめちゃくちゃ嬉しいなって思ってました。



マネージャーはタイム書取りロボットになってはいけないと思っています。そうならざるを得ないシュチュエーションももちろんありますが、今のマネージャー4人はなにか自分にできることはないかと常に考えてくれてると思います。



選手のみんなには、マネージャーのモチベーションになれる選手を目指してほしいと思います。
方法は人それぞれだと思いますが、選手はマネのために頑張る、そんな選手のためにマネージャーは全力を尽くす。そんな関係であってほしいなと思います。




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長くなってしまってごめんなさい。
伝えたいことはだいぶ書けたので、最後にメッセージを書いて、僕の部員としての最後の仕事を終わりたいと思います。



・OBOGの方々、寺井先生
多大なるご支援本当にありがとうございます。
僕は会計として資金面のやり取りで関わらせていただいたのですが、どれだけOBOGの方々からの支援がありがたいものかを実感する日々でした。
本当にお世話になりました。これからも現役部員のご支援のほどよろしくお願いします。



・1つ上の先輩方
僕はこう見えて打ち解けるまで結構慎重なタイプです。でも皆さんは何気ない話でもたくさん話しかけてくださってとても嬉しかったです。おかげで部活で楽しく水泳をすることができました。ありがとうございました。


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(1年前。懐かしいです。)



・同期たち
扱いやすいタイプではなかったと思います。いろいろな個性がある人が集まる中で、互いに干渉し合わず尊重し合える関係だったと思います。たくさんお世話になりました。


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(おさまりいい)



・後輩たち
本当にお世話になりました。個別のメッセージは手紙に書いたので読んでください。
みんなと過ごす時間が水泳部で1番楽しかったです。とっつきやすい先輩ではなかったかもしれないけど、たくさん話しかけてくれて、くだらない話に付き合ってくれてありがとう。これからのみんなの活躍を祈ってます。


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(最高の写真。みんなおつかれさま。)



・マネージャーのみんな
4回生で選手からマネになるってゆう、扱いにくすぎる僕を優しく受け入れてくれてありがとう。すぐ辞めるのが決まってる僕に新しい仕事をいっぱい教えてくれて、最終日まで新しい仕事ができるようになって、本当に楽しい日々でした。
4人それぞれが違う良さを持ってるなって思ってます。今の4人なら安心して任せられます。4人で助け合って最強のマネ軍団になってください。


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(みんな本当にありがとう。)



・ひろき
ラストイヤー何度も諦めそうになったけど、ひろきが先頭で頑張ってたからついていけた。
最後の目標達成まで頑張って。春室期待してます。


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(お先に引退させていただきます。)



・すみす
部活に入ってから3年間、いろんなことがあったけどこんな自分とずっと仲良くしてくれてありがとう。すみすがいなかったら部活に入ってなかったと思うし、入ったとしてもどこかで必ず辞めてました。全国公を目指す旅、苦しい時もあったけど楽しかったです。すみすが頑張ってるから自分も頑張れました。これからもよろしくね。


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(こんなに身長差あったっけ)



・たける
中学から今まで、どんな時もたけるは憧れでした。何回も何回も助けてくれてありがとう。たけるがいつもそばにいてくれたから、楽しく部活ができました。あと1年、誰よりも応援してます。これからもよろしく。


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(1番お気に入りの2ショット)



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(念のためこれものせとく。もう一人は海で頑張ってください。)




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長くなりましたが、これで僕の引退ブログを終わりにしたいと思います。



最後に1つだけ。
世の中には分かり合えないことはたくさんあると思います。でもそんなことも許し合える人たちが今の水泳部のみんなだと思います。苦しい時には必ず誰かが助けてくれるので、みんなを頼ってください。



この部活で幸せだったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、苦しかったことなど、何もかもを大切にしておこうと思います。



本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

笑顔で引退できて幸せ。




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2023年12月17日 
篠崎航介