こんばんは、眞鍋幸多です。

先日8/9の全国公をもちまして、阪大水泳部を引退しました。

何を書こうかなと考えてたら、気づいたら自分の番になってました

今までいろんな先輩方の引退ブログや、同期の引退ブログを読んできて、いつかは自分の番が回ってくるんかーみたいな他人事のように考えていましたが、

いざ回ってくると、ここで今までのこととか、思いの丈を語るのは結構難しいなと感じてます。

他の同期のように、心にしみじみくる文章とか、これだけは伝えたいみたいな気の利いたアドバイスとかは上手く書けないし、長々と要領の得ない文章になってしまうかもしれませんが
最後まで読んでくださると嬉しく思います。
















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3年前の4/1,僕は1年の浪人期を経て晴れて大学生になりました。


2日後の4/3,学科ガイダンス,初めての大学の出席日でした。

当時は人と会わない生活を1年も続けていたせいで、自己紹介するのもなんか緊張するみたいな感じで、ただでさえ無いコミュ力がもっとないみたいなどうしようもない感じでした。

それと同時に、初めて目の当たりにする大学生活を前に、これからどんな人生を歩んで行こうか、考え始めました。

ただ自分の中で、“体育会水泳部に入ろう”というのは99%決まっていました。しかしそれは、将馬のように前々から目標があって、強い信念を持って入部したいとかでは全くなく、

今まで水泳をしていたから、何かのコミュニティには所属しときたかったから、みたいなとても単純な理由でした。

話は戻り4/3,ガイダンスが終わり、同じ学科に受かった高校の同級生と待ち合わせのために、1人で北千里駅までの道を歩いていたところ、
その同級生から電話がかかってきて、こんな話を耳にしました。

「さっき1人で歩いてる阪大の新入生見つけたから声かけたら、水泳部入ろうと思ってる子やったから呼んできたわ」


その“1人で歩いていた子”とは、のちの我らが主将、眞田大遥くんです笑
お互いぎこちない会話を数ターン交わして、サーオリを一緒に回る約束をしてその日は解散しました。

サーオリの日、もう1人いました。
たいようの高校の同級生らしいです。
名前は徳山大策くん。
実は大策とは、この時すでに会っていたんですね。めっちゃ良い人だった記憶です。
2人とも今ではあんなに速くなって、
今思うとまだ入部の話も一切出てないのに、そこで出会ってることを考えると、とても感慨深いですね。
たいようは食堂でお腹すいたって言って、爆速でカレーを飲み込んでた覚えがあります。

だいさくは水泳部には入らんよ笑、って言ってました😅


話は逸れましたが、しばらく経って、そういう感じで、特に何かの目標とか、強い意志もなくも水泳部に入部することにしました。


僕は小中学校時代はスクールの選手クラスで、高校の時は学校で泳いでました。

水泳で注目を浴びるような時期も全くなく、ましてや高校では夏しか泳がず、今思えば本当の意味で「競泳」を真剣にやった時期は実は無かったのかもしれません。

中学からはイトマンのきつい練習についていくには、フリーしか泳げないということで、高校まで試合にはほぼ自由形しか出てませんでした。


高3の最後のレースで
50Fr 27.87,100Fr 1.00.89。

Baなんか中学以降出たこともなく、これが僕のベストタイムでした。


そんな中、楽観的なマナベくんは、大学水泳部について入部前は、

“流石に勉強できて、水泳も速い人ってそこまでたくさんはいないやろ”

“そこそこ頑張ったら、自分も高校の時よりは速く泳げるようなるやろ”

と恥ずかしい限りですが、それぐらいにしか考えていませんでした



でも初めての練習でそんな甘い考えは一瞬で打ち砕かれます。

一緒に体験練に来てる一回生は自分より速い人ばっかりやし、先輩は意味わからないぐらい速いし、その上雰囲気も経験したことないぐらいピリピリしてるし(もちろん良い意味ですよ!)、
うわこれから結構しんどい生活が始まるなって、ちょっとびびっていました。

最初の1ヶ月ぐらいはまだ入学したばっかりで、授業も課題も多くて大変な時期だったので、勉学に影響が出ないように、制度を守って無難にノルマ2?、ぐらいで無理なく練習に行ってました。
一年半ぐらい泳いでなかったので、普通に体力的にもかなりきつかった覚えがあります。

そんな感じで、その時期は目の前のことをこなすだけで精一杯でした。

そして1ヶ月ぐらい経って、ちょっとずつ同期とも喋るようになってから、どうやら同じ面にいたしょうまとりおがノルマ4ぐらいで練習に行ってるのをみて、僕もそれに引っ張られるように練習回数を増やし始めました。そういうのだけは意外と負けず嫌いなんですね笑
もう片方の面の一回生と練習回数競ったりもしてました。(当時は僕らの面の圧勝でしたけどね笑)
練習回数も増え、自ずと泳力も元通りあるいは七帝ではもうそれ以上で泳げるようになりました。

もともと中学高校で実績があって、大学で生涯ベストを出すのに苦労している/していた人がいるところで、こんなことを書くのは申し訳ないですが、
当時は僕はまあ確かに頑張ってたのは頑張ってたけど、練習回数を増やしたというぐらいで、そんなに苦労もせず簡単に生涯ベストより速く泳げるようになりました。

それでも泳力が全然なかった僕は3面なんて遠い彼方の存在で、なんかよくわからないまま試合に帯同し、勉強する毎日でした。

この年は、夏季公でメリレのインカレ切りや、関国で1ブレ2ブレ表彰台独占、など、ものすごい出来事がありましたが、
僕もわぁすごいなぁーと思いながら、でも何がすごいのかあまりよく分からないまま、先輩方の泳ぎを観て憧れているだけでした。
もうちょっと知識があればもっと盛り上がれたかもしれませんね。

最初の半年ぐらいは、“ただ必死にやるだけ”の毎日でした。
3年あればまあいつかは速くなれるかなあぐらいのレベルでした。
ただ当初から、当時主任だったひろきさんから、泳ぎについて教えていただいたり、試合後に声をかけていただいたり、特に水泳への取り組み方について話していただきました。
なので、ある日突然水泳に対する向き合い方が劇的に変わったわけではないですが、毎日練習を重ねるうちに水泳への熱量というものは確実に変わっていきました。


そして初めての夏休みはほとんどを自由練に捧げました。
ここが僕の1回目の伸び期。


自分で言うのもなんですが、
自らメニューを考えて泳ぐのがとにかく楽しかったので、そんなにやらんでいいやろうってぐらい結構泳ぎました。オフの王者(笑)って言われるぐらいには、🤫
でもその甲斐もあって、オフ明けの練習ではみんながヒーヒー言う中、自分はピンピンしてて、明らかに速くなってる手応えがあって、とにかく水泳が楽しかった
ひろきさんにも褒めてもらえて、初めて本当の意味で水泳というスポーツが楽しくなりました。
と同時に、だんだんと水泳の怖さを知ることにもなります。

そりゃあ、もとがそのレベルなら練習したら伸びますよね、ビギナーズラックという言葉があるぐらいですから。

意外とすぐにその恐れていたものにぶち当たることになります

初めて泳いだ短水路の100Baは1.02.96(10月の関国OBOG)
そこから2,3回試合に出るも3月の春室でも1.02台のまま。流石に練習を積んで、だんだん体力が戻ってきた周りの人たちには歯が立たなくなり始め、ここで大学で初めて停滞期を迎えました。
それでも年末の京大合宿に行ったり、初めての鈴鹿合宿を完走したり、いろんな経験ができました。









引退されたとうごさんの手紙や、志の高い同期から感化され、最終目標をインカレ出場に置きました。(とはいってもうっすらインカレかっこいいなあ、出てみたいなあっていう感じでしたが)


どんな後輩が入部してきてくれるんかなー
楽しみやなー

とか考えながら1回生終了。




すぐにやってきた2回目のシーズン。


この年は、というか夏までが自分にとっては厄年でした。


 5月あたりから急に体調不良が増え始め、離脱。
新入生ともあまり会えず、認知されずエントリーの人とか言われる始末。

夏季公で練習不足にしては意外とベストが出るもそこがシーズンのハイライト。

そして始まった対抗戦シーズン。
1回生の頃はそもそも中身もよくわかっていなかったので、事実上初めて目標を持って臨む対抗戦でした。
一応、3面には入れて、決勝目指すために泳ぐのですが、戦力分析通り、全てかすりもしない結果。
そんな中、同期は決勝に残って点を取っている。自分は全然貢献できない。
徐々についていく差に自分だけ取り残されているな、と焦りを感じ始めました。

まただんだん良くない方の慣れが出てきたのか、ラスト前流して、ラスト一本だけ全力みたいな練習の質の低下も見え始めました。
あとから聞くと、あの頃の僕は結構緩んでるように周りには映っていたみたいです。

しまいには、七帝戦の前日に、テスト勉強とかでの練習不足への焦りから、遅刻ギリギリで最寄り駅の階段を猛ダッシュした結果、足を踏み外し転んで、2ヶ月も治らない厄介な捻挫を患ってしまいました。
同期から置いていかれるどころか、一切まともに泳げない。中学高校の時のように怪我も早く治らない。
大げさですが、この時ばかりはもしかして今後もう泳げないんじゃないかなとか思ったりしてました。
結局関カレ全国公は棄権。久々に出た夏季長は100Baでベスプラ9秒という悪い意味で衝撃的なタイム。
期末試験の勉強に追われるし点数もギリギリやし、何をやっても上手くいかない。

今思えばこの頃はどん底だし怠惰でした。



幸いにも、1ヶ月オフを挟むことができ、時間をかけて怪我を治すことが出来ました。前の年自由練でやりすぎてちょっと息切れしかけたのを反省に今年はちょっと抑えようと思っていたけど、結局最後泳いでしまった笑

あとは、9月の頭にインカレを観に行かせてもらったのが大きな転機でした。
自分のチームメイトがあの場で泳いでいる姿、国公立からB決、決勝に残って活躍している姿、トップスイマーがえげつない速さで泳いでいる姿。
本当にどのレースも目が離せなくて、衝撃を受けました。




やっぱり、大学で真剣に水泳をやるなら、最後はあの場で泳ぎたい。そう強く思いました。


ただ自分の場合は現状、現実をしっかり見ないといけなかった。
ただでさえ、もともと全く実績もない選手がいきなり間を飛ばしてインカレなんてとても大きな声で言えなかったし、実際当時のベストから考えて短水路の100Baを想定するとしても5秒。
残りは2年、いや実際1年半ぐらい。

全てを水泳に捧げても客観的にみたら届く可能性が極めて低いと言われるような状況で、流石に“目標はインカレです!”なんて言える勇気を持てるはずもなく、現実的な目標を立てるところからやるしかない事実に、ものすごく悔しさ、無力さを覚えていました。

それまでは“タイムが伸びる喜び”、“練習をする楽しさ”が全面的に出ていましたが、

この頃から、目標に全然届かない、理想からかけ離れている残酷さ、人に負ける悔しさ。
そういうものを強く感じるようになりました。

ただ自分の中で大事にしていた考えは

•初めから無理と思っていたら絶対に無理。だから無理だと思いながら水泳をしない。
•できるできないは結果。漢ならまずはやるかやらないかの二択。
•インカレという目標は大事にしつつ、段階を追って目標を立てベースを上げていかないといけない。
•そのためには、ベースを上げて対抗戦やリレー、歴代入り、憧れの先輩を超える等、活躍の場を増やして、選手としてのレベルを絶えず上げ続ける。


引退の瞬間までこの考えは大事にしていたつもりです。
当たり前のことではありますが、自分の中ではこれがあるからこそ残りの2年も変わらず熱意を持って水泳をすることができたと思っています。


話は戻り、2回生の冬。
秋冬は結構満足に泳ぐことができ、迎えた12月の冬季公。
100Baは1秒2ベストの1.00.39
(僕は必死こいて2回生の冬でやっとこのタイムだったので、ブランク明けのたくととかが一回生でこれぐらいで泳いでてやっぱり速いなって思います)

200Baも2秒ベストの2.15.64
200Frも単発で2.00.69

100で1分、200で2分割れなかったのは残念でしたが、練習の成果は出てる。

一定の手応えも感じながら、
年末の京大合宿にも参加し、(訳あって、1回練習してすぐ打ち切りになってしまいましたが、それも良い思い出です(?)😅





春先の鈴鹿合宿は阪神合同で、人多くてアウェーだし、メニューマジできついし、選手もマネさんも関係なく試練でしたが、みんな本当によく頑張りました。







あっという間に3回生。

今の2回生たちが入部してくれ、もう後輩キャラでは居られなくなり、上回生としての自覚を持たなければいけない時期。(言動は最後まで自覚を持てていたかわからないですがね笑😅
半年先にはもう自分たちの代が引っ張らないといけない。
それまでは先輩に引っ張ってもらいながら楽しんで水泳をしていましたが、


結果を出さないといけない、後輩に負けられない“プレッシャー”を一気に感じるようになりました。


先に書いてしまいますが、個人的には3回生の時期は結構難しい時期だと思います。
後輩感が薄れ、上回生になっていく。
かといって最上回生でもない、一応まだあと1年はある。そのつもりがなくても、ダレたり、しんどくなったりしてしまう難しい立場の時期なので、いろんな人の助けを借りても良いので、うまく乗り切れる方法を各々考えてみてください。


話は戻りますが、本業のBaは5月の春短で100,200はベストは出るも、100はあと100分の何秒とかでまた1分を割れず。こんなところで躓いている場合じゃないのに、、
200Frは冬、春と一気に伸びてきて、個人1.57.27。
この時から8Kのリレメンを真剣に狙い出します。
それまでほぼBaしか泳いでこなかった自分を結果的にはこの200Frが救ってくれることになるとは思っていませんでした。

結局5月の時点で特に制限切りがかかっている種目もなかったので、このシーズンはもう短水路は早い段階で見切りをつけて対抗戦一本で練習することにしました。

5月末の大阪府春季室内。長水路の試合です。

2種目ベスト、2フリが2.01.01。

冬と春で大きな離脱もなく練習を積めた成果が確実に出てきた感じでした。

何度も擦るようで申し訳ないですが、笑
2フリに関しては最後の最後までタイムも内容もこれを超えるレースができることはありませんでした。
それだけ改心のレースをしてしまいました。
なんでこんな中途半端なタイミングやねんって感じですが、自分の大学水泳のベストレースはこれということにしといてください笑

なんやかんやでCSでなんとか8Kのメンバー入りも決めることができ(議論の余地はありましたが😅)、関国までは残り2週間。
ただちょっとここで無理をしたのか、体調を崩し、それまでの好調、期待感がしぼみ、あっという間に関国を迎えました。

今年こそは絶対に点を取りたい。
そんな気持ちが空回りしすぎたのか、とても緊張しました。
200Baは9位で悪夢の予選落ち。
100Baはかろうじて7位で2点死守、8Kも疲れてボロボロ。
対抗戦の洗礼を浴びに浴びまくりました。
同期や一個下のKohkiとかかおるはしっかりピーク合わせてきててすごいなって思っていました。






次の七帝はもっと結果を出さないと、
そう思った僕はあほなことに無理してウエイトして腰をぶっ壊してしまいました。
1週間ぐらい外出もできず、当然体力は落ち、泳ぎも崩れ、七帝から試合を重ねるごとにタイムは落ち、MRも8Kのリレメンも全部失いずっと下り坂。(しゅんやの伝説の全国公が観れたのでそれはそれで嬉しかった🥹


2年目と同じような形でシーズン途中で失速してしまい、また笑って夏を終えられず。
そんなことを言ってももう本当にあと1年。

覚悟を決める時がやってきました。

今思えば、ラストイヤーは、少しの焦りはあったかもしれないけど、それまで抱えていた怖さとかははっきりいって一切なくなりました。

というか、目標に届かなかったらどうしようとか、もう時間がなさすぎるとか、そういうことを考えている余裕が一切なかったです。
それは、覚悟を持って取り組んでいる同期をみてそうなれたのもあるし、最上回生という立場がそうさせたのもあります。

人間は切迫詰まるとそうせざるを得ない、
立場が人を作るというのは本当なんだな、と今振り返るとそう思います。


ただそんなラストイヤーも全然理想通りには進みませんでした。


とりあえずもう残り1年しかなくなったので、出し惜しみせず、インカレとか目標まで何秒あろうが近づける努力をより一層やらないといけない。
ひとまず、ずっと目標にしていた椋太郎さんのタイムを超えたい!ということを意識し、
9月は泳ぎ込みよりもバサロの技術をとにかく上げることに魂を燃やしました。
(Ba面のみんなには気の利いたアドバイスできるほど技術力がないからなかなかできないけど、短水路速くなりたかったら絶対にバサロ強化した方が良いよ^ ^)

最後の年はもう短水路の100Baのためだけといっても過言ではないぐらいその1つに賭けたつもりです。(8Kはやっぱり泳ぎたかったので2フリも頑張りましたが、)

12月の冬季公では一気に58秒台まで伸ばすことができました。
年末恒例の京大合宿もラストかーと思いながら完走、年末楽しくなって通っていたスクールの練習に参加して10000mぐらい泳いで、疲労がだんだん蓄積、
そして年明け、強くなるためにやっていたはずのデットリフトでまたも腰を壊してしまいました。
2回目の腰痛で、どうせまたすぐ治るやろと思っていたのに、引退するまで治らない怪我になってしまいました。
なかなか僕は失敗から学べない人間ですね😅



結局これのせいで、ウエイトの計画もほぼ全て頓挫し、だんだんと雲行きが怪しくなってしまいました。
試合もちょいちょい棄権が目立ち、練習強度もだんだんと落ち、研究室生活も始まり、時間的にも追い込まれていきました。それまでは自分の水泳に対するモチベは良くも悪くもずっと一定でしたが、流石にそのときばかりは正直ちょっとだけモチベが下がってしまっていました。今考えればそこで少し無駄な時間を過ごしてしまってた自覚はかなりあります。
凹んでてもしょうがない、合宿からまたしっかり頑張ろうと思い、最後の鈴鹿合宿も終え(今年がなんとなく1番良い合宿やった、特に運営頑張ってくれたりお、たいようありがとう!)
九大合宿にもお邪魔させていただきました。
まあ九大の方は初手でまた捻挫して全然泳げなかったのですがね😅
でも合宿を通じていろんな人と仲良くなれたしその意味では行ってよかったなと思います。


もうそこからは一瞬で過ぎていきました。
中部対抗でたくとが一気に伸びてきて嬉しい反面、負けて自分の出番がなくなる悔しさ、焦り、などなど心情の変化もありましたが、とにかく初心に戻って毎日を必死にやるのみでした。





そして今年の夏はご存じの通り、本当に濃い夏を過ごさせてもらいました。

個人的な話だと春短のMVS


ℹ️ information Manabe



そして、チーム全員で掴み取った、あの感動の関国男子総合優勝。
あの場面でアンカーで泳がせてもらえるなんて本当に幸せ者でした






三重に最後の短水のレースにもしゅんやとひろとと行きました。

2月の短水に出れなかったので、最後の力試しということで対抗戦シーズンではありますが出させてもらいました。

運転感謝🙏





七帝の100Ba3枚残り。
ほっとしたし、たくととだいちがあんなに喜んで来てくれてたのが本当に嬉しかった。




関カレ全国公もなかなかベストは出せなかったけど、いろんな人にたくさん応援してもらえて本当に幸せでした。
結果的に春の練習不足が出てしまったところはかなり悔いが残っています
8Kで抜かれて入賞できなかったのは素直に悔しいし、申し訳ない
でも最後の最後まで水泳の厳しさを教えてもらいました。







最後の最後の瞬間まで速くなる方法を考えて泳ぐ時間は最高の時間でした。


終わったあとは、やり切ったーとか寂しいとかそういう感情が一気に出てくるのかと思ったら、


まず出てきたのは圧倒的虚無感


終わりはあっけなく、残ったのはなんか変な違和感と、反省。

最後まで頑張ってって言ってもらってる間に気づいたら終わってました。不思議な感覚でした。



もう朝練のために備えたり、冬とか次の年の試合に向けて練習計画立てたり、水泳のためにお酒避けたり(?)

そういうことももうする必要が無くなってしまいました。とても変な感じです。

今まで当たり前にやってきたことが急になくなると感覚が狂います。

しばらく引きずりそうですね笑






一応3年半の成果だけ。
自分がこだわった2種目だけ

100Ba
短 1.02.96→57.80
長 1.08.46→1.02.71

200Fr
短 2.04.00?→1.55.96
長 2.20.00?→2.01.01
※短水の2フリは見栄え良くするために引き継ぎのタイム書きました笑





ここまで書いてきた内容は、僕個人のタイムの羅列や、ただの自分語りに過ぎません。






せっかく長い文章を読んでくれた人たちに大事にしてほしいことを送りたいと思います。




まず選手目線の内容にはなってしまいますが、水泳やるにあたって、当たり前ですが結果はとても大事です。
それも何秒伸びたかではなく最終到達点が大事です。
始めたレベルが違えば伸び幅も違います。
僕も短水57秒まであげれたのは最初と比べたらだいぶ頑張れたかなとは思いますが、でも立てた目標は達成できてない。インカレも遠かった。
結果という視点だけでみれば全然ダメです。

でもみんなにはまだ時間があります。
どんな目標であれ結果は重視し、最後まで逃げずに頑張ってほしいなと思います。それができればもし仮に結果が残念で、頑張りが全て肯定されずとも、自分の中で納得して終われるはずです。

また目標が高ければ高いほど苦しみも大きくなります。
当たり前ですが、目標達成のためには、しんどくてもやることはやらないといけません。その“やること”は人によって違うと思いますが、速くなるためには逃げられません。勝手に速くなるなんてことはまずあり得ません。
僕もそれはずっと頭では分かっていましたが、どうしても途中で自分に甘くなってしまう瞬間もよくありました。反省もたくさんあります。

やってもやった分だけ速くなれるかは分からない。でもやらなかったら絶対に速くならない。

ここでこんなマイナスなことは書きたくないですが、でもやっぱり水泳(というか、スポーツも勉強もなんでも)は厳しいものです。

何事も後悔ゼロで終えるなんて相当難しいと思いますが、後輩達にはその後悔をできるだけ少なくできるように頑張ってほしいです。


そして言い訳を作らないこと。
高校までの僕は体格で負けてるからとか、夏しか泳げないからとか、言い訳ばかりしてきましたが、
大学水泳では全て抑えてやってきたつもりです。練習で波きつすぎるねんとかぼやいていたことは結構ありますが、、😅
背が低かろうが体格で負けていようが、全員に勝つつもりでやりました。怪我しようと、それはマネジメント力がないから。全て含めて自分の実力。自分の責任。
現実を受け入れるのは苦しいことですが、みんななら絶対できるはず。僕でもできたんだから。

その上で、ここに書いた内容を常に気を張りながらやるのはすごくしんどいです。
そういう時は仲間を頼ってください。
話を聞いてもらうだけでも良いです。
大学水泳の良さはまさにそこです。
同じ目標をもって、同じ苦しみ、悩みを持った人間がたくさんいます。
クラブチームで練習するだけなら絶対に経験できないことです。
水泳以外の時間もこんなにも濃い時間を一緒に過ごす仲間は今後なかなか見つけられない気がします。今一緒に過ごしている仲間、応援•サポートしてくれる人たちを大事にして、困ったことがあれば相談し合い、助け合ってください。
いろんな人の考えを聞いたり知ったりすることで自分も成長できる、それが部活をやる意味だと思います。


そして、行き詰まった時は自分のことも大事にしてください。
さっきと言ってることが矛盾していますが、
僕はスポーツはまず自分のためにやるものだと思っています。
もちろん応援してくれる人は本当に大事にしてください。大事にしてほしいんですが、本当にきつい時に人のために、とかチームのためにとかを考えすぎると少ししんどくなってしまう人はいると思います。
みんなははじめ、水泳をやりたいから、部活を楽しみたいから、速くなりたいから、何か自分の中で実現したいことがあるから阪大水泳部を選んでくれていると思います。
辛いときはそういう初心みたいなことを思い出して、あまり自分に悲観し過ぎず、些細なことでも良いから自分の中で成功体験を増やしてみてほしいなと思います。


僕から言えるのはこれぐらいです。
文章にしたら長いですが、ごく普通のことを言っているだけです。大したことはよう言いません。




最後にいろんな人へのメッセージを書いてこのブログを締めくくりたいと思います。



寺井先生をはじめ、OBOGのみなさん

日頃からたくさんのご支援をいただき本当にありがとうごさいます
幹部として総会に出席させていただいたり、寺井先生や梅谷先生と直接お話しさせていただく機会を持ち、改めて金銭的な部分や、実務的な部分、精神的な部分、多くの場面で私たちの活動を支えてくださっていることを実感しました。
皆様のご支援がなければ私たちはここまで不自由なく活動することはできていません。本当に感謝しております。
今後はOBという立場に回り、今まで受けてきたご恩を少しずつ後輩たちに送って行けたらなと考えています。


先輩方へ
先輩達の背中はあまりにも大きかったです。
みなさんに追いつくために必死でした。
少しは近づけたかなとは思いますが、追い越すまでには至りませんでした。

そして水泳に限らず、食事に連れてくださったり、遊んでくださったり、たくさん面倒を見てくださり本当にありがとうございました
今の僕たちがあるのは先輩方のおかげです。
お世話になりました。


後輩のみんなへ
さっきもいっぱい書いてしまったけど、みんななら絶対全部乗り越えられると思います!
最後4回生を送り出してくれるのがみんなで良かったなって思います!
今後の成長も本当に楽しみにしています。
もっと近くでみんなの成長を見ていたい気持ちはありますが、これから主役はキミたちです!🫵
僕はみんなの見えないところで密かに応援したいなと思います。
何か困ったことがあったら先輩に相談してね。



マネさんへ
今までありがとうございました!
選手と違い、タイムみたいな明確な指標が一目で見えない部分があるからこそモチベの保ち方に難しさはあると思います。
でも今のマネさんたちを見てると、自分たちの仕事に誇りを持って部活を楽しんでくれているので安心はしています。もちろんしんどい時もあるとは思うけど、仕事に誇りを持って楽しみながら部活を頑張ってね!
これからも阪大水泳部をよろしくお願いします🙇‍♂️
お世話になりました。


Ba面のみんなへ

後輩2人の方が速くなったから結果で引っ張ることは途中からできなくなったけど、みんなで考えながら泳いだ時間はとても楽しかったです。

ごっそり人数いなくなるけど、勢いで盛り上げて行ってください。

先輩から受け継いだ襷をキミたちならきっと繋いでいってくれると思います!

また新Ba面でご飯計画するから行こうね🤘




他大学の方々
関わってくれた全ての人に感謝です。
京都大学、神戸大学、九州大学の皆さんは合宿でもご一緒する機会が多くあり、本当にお世話になりました。
特に九大の和馬さんや、神大のゆうひさんには引退後もずっと僕の結果を気にして声をかけてくださいました。本当にありがとうございました!




家族へ
水泳に出会わせてくれて、ありがとう。
人生でやっと主体的にに水泳に打ち込める時期が来ました。
家ではずっと自己中な言動、態度を見せて、余裕のない姿を見せてしまいました。
それでも最後までやり切れたのはいろんな支えがあったから。
これから少しずつ返していけるように頑張ります。
最後レース見に来てくれて良かった🙏




最後に同期へ
個別のメッセージは引退ブログにコメントします。

僕たちの代のすごいところは、それぞれに多少の差はありつつも、全員が同じ方向を向いて、それぞれの目標に対して、決して妥協せず最後までやり遂げることだと思います。
自分もこの代じゃなかったらここまで頑張れたかどうか分からない、それぐらい同期の頑張りや活躍に刺激を受けていました。
他人のレースであんなに何回も嬉しい気持ちになったのはみんなが初めてです。
どの代も素敵な代やったし、自分らの代やから補正はかかって当然やけど、
間違いなく“蒼覇”は名実ともに歴代最高シーズンやったと思う。
浪人してもこの代でみんなと泳げて本当に良かった。
これからもよろしく頼むぜい。

載せれなかった写真も載せておきます。















水泳人生で出会えた全ての人に感謝を込めて


ごきげんやう👋



烈華
和爛
百尺敢闘

蒼覇

2026.8.27 
眞鍋幸多