めっちゃこんにちは。
4回生、大前翔太朗です。
とうとう、このブログを書く日がやってきました。
やかましい男が残す、最後のメッセージです。読んでください。
はぁ、やっと終わった。
長い20年だった。
この20年、何かを残せただろうか。
この20年、自分の姿を魅せられただろうか。
憧れの赤い魔法使いに、俺はなれたのだろうか。
勇気を魔法の炎に変える、あのヒーローに。
俺の水泳人生は、20年前のJSS住吉から始まった。
母親に抱かれながら、初めてプールというものに出会った。
楽しかった。名前も知らない友達と戯れ、泳ぎを教わるのは。
平泳ぎの級を全て終え、バタフライへと進む予定の日、一枚の紙を渡された。
育成への、進級だった。
水泳が楽しくなくなったのは、その日からだった。
優しかったコーチに毎日怒られ、自分の才能のなさを痛感する毎日。
学校の友達とろくに遊ぶこともできず、ひたすらに泳ぎ続けた。
高学年になり、俺は選手になった。
人間関係がうまくいかず、学校と水泳両方投げ出したくなった時も、泳ぐことはやめなかった。
そんな俺に、結果は姿を見せることすらなかった。
中学に進級し、足を故障した。
背泳ぎに一旦の別れを告げ、長距離へと転向した。
今思えば、この時が一番競泳を嫌悪した時期だ。
中学3年生になった。
長距離を捨て、短距離に転向した。
俺と50mFrの付き合いは、ここからのものだった。
頑張った。頑張ったはず。頑張ったよな?頑張ったっけ…?
近畿大会に進めなかった俺は、高校受験へと”敗走”した。
そしてその後の2016年9月30日金曜日、俺の腰は使い物にならなくなった。
高校生になった。
半年の安静期間を経た俺は、クラブチームではなく部活で競泳を続けることにした。
クラブチームにはたまに通い、アドバイスを受ける程度だ。
顧問は全員素人、部員のやる気もどん底、そんな環境で、部活をする羽目になった。
全体のメニュー作成と、腰を気遣いながら入水とトレーニングを繰り返す毎日。
この時期から、俺は水泳を楽しいと思うようになった。
2019年6月22日土曜日、大阪府中央大会2日目、50mFrの決勝の舞台。
俺はそこに立っていた。
数少ない公立高校の短距離選手として決勝に残った俺。
会場には大阪の高校中から選手が集まる。
そんな大舞台に、落ちこぼれが一人、立っていた。
俺は二位になった。
2019年7月24日水曜日、近畿大会3日目、50Fr予選。
インターハイ出場がかかった大一番。
24’12”
俺は、インターハイ代表になった。
涙が止まらなかった。
才能がなくても、ここまでやれるんだと。
大きなハンデを背負っていても、戦えるんだと。
今まで見下してきた選手たち、憧れてきた人たちに示せたようで、嬉しかった。
大学生になった。
念願の、阪大生だ。
部活は?できない?
某ウイルスは、俺の熱意までも蝕んでいった。
同期全員と初めて出会った。
自分はインターハイ選手だから、そんな気持ちを持っていた自分が今でも恥ずかしい。
彼らは俺以上の競泳への熱意・姿勢を見せてきた。
俺は心の中で、自分の”肩書き”を投げ捨てた。
来る日も来る日も、考えた。
速くなるには。強くなるには。
先輩・同期・後輩。
専門・他種目問わず、聞いた。
肩書きはもう、ないのだから。
俺の心に、再び火が灯った。
勇気という名の、魔法の炎が。
あの魔法使いと、同じ炎が。
2022年7月2日土曜日、関西国公立50Fr決勝。
23’94”
憧れの先輩に導かれた俺は、過去の亡霊と決別した。
その日数、1106日。
生涯ベストを、更新した。
そしてその日から、ベストが出ることはなかった。
就職活動が始まった。
競泳に割いていた時間を、使わなければならない。
4回生になると同時に、就活は激化した。
練習に顔を出せる回数は少なくなり、練習量は圧倒的に不足した。
そんな中での夏の対抗戦。
俺は期待された活躍をすることができなかった。
悔しかった。
こんなところで終わりたくない。
散々な結果に終わった関西学生選手権。
レースを見れば見るほど、炎は激しく燃え上がった。
その後の二週間が、20年目にして最大級に競泳に打ち込んだ瞬間だと感じる。
2023年8月11日金曜日、50Fr予選。
24’45”
奇しくも高校のラストレース、インターハイと全く同じタイムで、
俺の競泳人生はあっけなく幕を閉じた。
はぁ、終わってしまった。
あっという間の20年だった。
この20年、俺は確かに残した。
この20年、俺は確かに魅せた。
最後の最後で、憧れの赤い魔法使いに、俺はなったんだ。
勇気を魔法の炎に変えて、俺は戦ったんだ。
つらつらとポエミーな文章を書き連ねました。お付き合いありがとうございます。
僕の競泳遍歴、なんの変哲もないものだったと思います。どこにでもいる、一人の”水泳経験者”にすぎません。
結果は悔しいものです。しかし、この20年に悔いはありません。
同じ漢字ですが、意味は異なります。
この競技と出会って、さっき書いたように本当にいろんなことがありました。
しかしいざ終わるとなると、心に大きな穴が空いたように思います。
もうあんなに“アツい”気持ちになることはないんだろうと、寂しくなります。
同期全員が同じだけアツい思いを持っていたことを、僕は確信しています。
去り行くものとして、最後の餞別を後輩達に。
強く、なってください。
速いだけではダメなのです。強くないと、ダメなのです。
俺の同期は皆、強い。
速いだけじゃない。選手として、仲間として、人として、強い。
俺はそんな彼らに憧れを持つ。そんな彼らの同期であることに誇りを持つ。
だから強くなってください。
この強さの意味がわかる日が、君たちが本当に強くなった日です。
水泳をしていると、苦に思うことの方が多いはずです。
僕もいつ辞めてやろうかと、ずっと考えていました。
しかし、止めるのです。
今までの努力が、思いが、優しい仲間が。
口には出さずとも、形にはならずとも、後ろ髪を引くのです。
そして最後の試合を終え、改めて感じました。
それは、この部活の温かさです。
引退まで俺が競技を続けられたのも、大阪大学体育会水泳部だったからだと、胸を張って言えます。
人間的に成長すべき点がたくさんある僕にとって、この部活は本当にありがたい存在でした。
諌めてくれる仲間がいる。支えてくれる仲間がいる。一緒にアツくなる仲間がいる。
もっと大人しくしとけばよかったんでしょうが、性分です。仕方がありません。
部内には僕と全く合わない、僕のことが嫌いな人もいた(そっちの方が多い希ガス)でしょうが、
最後までやらしてもらえて本当に感謝しています。
諸先輩方、僕を後輩として可愛がってくださり、ありがとうございました。
皆さんが僕を鍛え、育ててくれました。
後輩達、俺を先輩にしてくれて、慕ってくれてありがとう。
皆んなが俺を大人にしてくれた。
同期達、俺を、こんなどうしようもない俺を、仲間にしてくれてありがとう。
俺の友達になってくれてありがとう。
俺を叱ってくれてありがとう。
絡みに付き合ってくれてありがとう。
僕のような人間を、最後まで置いてくれてありがとう。
怪我を抱えるこの俺に、最後までよくやったと、引退させてくれて、本当にありがとう。
みんなのおかげで、俺は本当の意味で部の一員になれた。
そして家族。
水泳と出会わせてくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
最後の最後まで、応援してくれてありがとう。
今まで出会った、すべての人に。
俺を”創り上げて”きてくれたすべての人に。
本当に、ありがとう。
君が越えたいものは何?
それは今でもわからない
ただ今言えるのは
心の炎を 燃やし続けるしかないということ
人はそうやって 生きていく
次は何に燃えようか
次は何に熱くなろうか
赤い魔法使いのような
勇気の炎を燃やして