Vi ses, vår bäst vän. | 大阪大学体育会水泳部のブログ

大阪大学体育会水泳部のブログ

大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

めっちゃこんにちは。4回生大前です。引退ブログ前に再び書くチャンスが回ってきました。シュシュ原ありがとう。

今日は少し長めです。お付き合いをば。

 

まずはメニュー。

 

石井メニューです。わしはドリルまでは頑張っていって、そこからは合わせて、Diveで25m二本飛ばしました。11.4と11.2でした。タノチィチィネェ。

 

全国公まであと少し、引退勢はできることを最大限にやって、悔いなくおさらばしましょう。

 

 

さて、今日の本題に入っていきましょう。

皆さん、一昨日はカールのお別れ会がありました。みんながカールと楽しんでいるのを見られて、カールの保護者としてはとても嬉しいです。

 

カールが初めて日本に来たときにもブログを書きました。そのときにも出会った経緯を説明しましたが、1回生もいることですし、改めて、我々とカールの軌跡を辿っていこうと思います。

 

 

2022年2月4日、幹部メーリス(当時私はOB係)に、1通のメールが届く。

送り主の名前は、Carl-Åke Willberg。

2023年春学期から阪大に来る予定の留学生で、どうやら日本滞在期間中に部活に参加したいという。

 

当時の競泳幹部の内、カールが日本に来る期間に部活に残っている予定の部員は二人、俺とひろきだけ。

当時の先輩方は委細我々に任せるといい、我々にコンタクトの命が降った。相手は外国人、ゆずかに投げた方がコミュニケーションが円滑なのは目に見えている。実際今でもそう。

専攻語の生徒として引き受けるか、ゆずかに投げるのか。

 

俺はその二択を外さなかったことを誇りに思っている。

 

その日から、俺とカールの一年に及ぶネット上での友情が始まった。

 

冬季オリンピックを見てお互いの国のことについて話したり。

スウェーデン語のことについて質問したり。

日本語の曖昧な部分を教えたり。

 

やりとりは最初こそ探り探りだったものの、次第に打ち解け、日本に来たときにしたいことなどの具体的な話も多くなっていった。

 

先輩たちが引退し、オフを挟んで烈華がスタートし、秋冬の練習をしているうちに、1年はあっという間に過ぎ去っていった。

 

2023年3月27日、尼崎スポーツの森での練習に、カールが来ることになった。俺は駅まで彼を迎えに行くことにした。

 

駅に着いたかどうかの連絡を数回繰り返し、俺は出屋敷の駅のロータリーに立つ異国の男前を初めて目にした。

 

 

メッセージでのやり取りを始めてから日数にして416日、極東の地で、遙かな距離を飛び越えて、俺たちは本当の意味で出会えた。

 

 

そこからの毎日は、刺激に満ち溢れていた。俺は5ヶ月という短い期間で、最大限カールに日本を感じてもらおうとした。いい国だと思って帰ってもらおうとした。

 

まずは水泳部のみんなに紹介した。当日行くことを知っていたのはひろきただ一人。みんなは面食らったと思う。英語が通じるといっても本物のネイティブ。受験英語しか大方経験していない俺を含めた我々阪大生には、少々刺激が強かったかと思う。

そんな部員の不安をよそに、カールは持ち前の明るさと人柄で、我々の心に踏み入ってきた。

正確なコミュニケーションが可能なのは俺か、ゆずかか、リニだけだったと言うのに。

 

尼森での体験練を終え、俺はカールと食事をした。日本の美味いラーメンを食わせた。彼はえらく気に入ってくれた。そしてそのあとは万博公園で桜を見た。満開だった。俺は手取り足取り、拙いスウェーデン語で彼にサクラとは日本人にとってどれだけ重要な花なのかを説明しようとした。その時の俺は、桜をスウェーデン語でどう言うかも知らなかったと言うのに。

 

カールは入部を希望した。正直不安だった。阪大水泳部に来る留学生はなぜかルールを守れない輩が多く、今回もそうなる予感がどうしても拭いきれなかった。一度ゆずかに投げ、英語にて部則を説明してもらった。

再三の確認の末にカールは承諾し、正式に我々の一員となった。

阪大生としての選手登録ができず、公式試合には出場できないと言うのに。

 

 

そこからの5ヶ月間、俺は部員としてだけではなく、日本における一番の親友、そして家族として、彼と接してきた。

彼の住まう寮とNACLの緊急連絡先の欄には俺の名前と電話番号が書いてある。実際に電話を受けたこともあった。

 

俺は彼の保護者・通訳・案内役としても、5ヶ月努めてきた。練習中も、食事中も、出かけた時も、常に彼の言葉を代わりに伝えてきた。彼に対する言葉を通訳してきた。

 

練習中、ふとしたときに漏らしたことがある。何人かは聞いたことがあると思うが、正直、その場での通訳というのにはみんなが考える以上のエネルギーを消耗する。自分の実力不足が原因でうまく伝わらない時や周りが頼りにならない時、自分の中で疲労と苛立ちが溜まっていく。

 

通訳の大変さについて、カールを恨む気持ちは全くない。むしろ感謝している。カールと出会ったことで、個人的には留学に行くこと以上の刺激、そしてスウェーデン語の勉強を体験できたと思っている。

 

そして何より、俺は生涯の友を得た。

 

家に招待して食事もしたし、俺と母親とカールで京都も行った。どうやらうちの家族は自分の息子以上にカールを可愛がっているようだ。そして9月にスウェーデンに滞在するときはご実家と叔母さんの家に泊めてもらえることになっている。向こうのご家族も俺たちを歓迎してくれているようで、本当の意味で家族ぐるみの付き合いになりつつある。

 

最近の1番の驚きは、ひろきにスウェーデン渡航を決めさせたことだ。

カールは入部以降、部則を破ったことがない。正直俺より真面目に部活動をしているんじゃないかと思う時もある。そんな折、俺がスウェーデンに行き、カールと会うことを話した時、ひろきが迷い出したのを今でも覚えている。

あいつは結局俺たちと一緒にスウェーデンに行くことを決めた。

 

俺は嬉しかった。ひろきとここまで仲良くなれたこともそうだが、俺の友達に、人をここまで動かす力があったことがだ。

 

俺は今でも誇りに思う。俺は、俺たちは二択を”2回”外さなかった。一つは前述の自分で連絡をかって出たこと。そしてもう一つは、カールを受け入れ、部員として接することを決めたことだ。

 

途中からは部のマスコット的存在となったカール。部員全体に分け隔てなく、その人柄を振り撒き、刺激を与えてくれた。

 

みんながカールにどんな感情を抱いていたか、わざわざ聞く必要はないと思っている。

お別れ会のみんなの様子が答えだ。

 

この場を借りてお礼申し上げる。

 

カールを、俺の親友を受け入れてくれて、ありがとう。

彼に日本での素晴らしい思い出を作ってくれて、ありがとう。

彼の仲間に、家族になってくれて、本当にありがとう。

 

彼はこの5ヶ月の出来事を、生涯忘れることはないだろう。

素晴らしい仲間に囲まれた、儚い時間を。

 

 

今日から一週間、様々な別れが待っている。

 

俺は引退し、部を去る。

20年続けた競技に、別れを告げる。

俺だけじゃなく、多くの4回生もそうだ。

そしてちょうど一週間後、我々は一人の部員が帰るのを見送る。

 

引退組もそうでない選手・部員も、最期の試合を華々しく飾ろう。

烈火のように激しく、熱く咲かせよう。

そして最高の結果を引っ提げて、大輪の笑顔で彼を見送ってやろう。

泣いてもいい。その雫で、華が大きく咲くのなら。

 

 

俺の友達になってくれてありがとう。

俺たちの仲間になってくれてありがとう。

 

いつかまた、会える日を信じて。

 

Vi ses, Carl.

 

Från din bäst vän, Shotaro.