新入生リレー⑧ | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

 今こそ、青空に向かって凱旋だ!絢爛たる紙吹雪は鳥居をくぐり、周波数を同じくするポストと冷蔵庫は先鋒をつk......おっと、危ない。
 これ以上映画の台詞を喋ると、金色のローラーブレードを履き、赤い帽子を深めにかぶり、くの字に曲がった金属バットを持った少年に殴られそうです。
 気になる方はPAPRIKA(アニメ映画)か妄想代理人でも調べてくださいな。

 まあ余談はさておき。新入生リレー⑧、一回生としては六人目の自己紹介を始めますね。

    名前:木原 陸(きはら りく)
    学部:人間科学部人間科学科
    出身:大阪府立泉陽高等学校
    専門:Br(特に200m)
    好きなもの・こと:じゃがりこ(チーズ味)、音mad、怠けること、シャドウバース

 僕が水泳を始めたのは3歳の頃ですが、最初は水に顔つけるのも無理でした。練習が嫌でトイレで何回か籠城もしましたが、退路がないわ補給がないわと負け戦でした。
 専門はBrと書きましたがただの消去法です。バッタはあまりにフォームが汚かったため、長水路の200m個人メドレーで失格になりかけたことがあります。
 ターンも苦手で、さらにスプリント力?がないので、200みたいな長期戦でないと勝てません。200の前半100と後半100の差が2秒しかなかったこともありましたが、今はさすがにそんなことはないです。
 大阪では数少ない公立高校インハイ組の一人らしい(2019年度で4人?※私立とか合わせると140人ほどいる)のですが、ベスト+3~4くらいの激遅タイム出しました。
 正直、熊本に旅行行っておいしいもの食べて、ホテルの等身大くまモンと写真撮って、そのまま帰ってきた感じがします。なんてやつだ。
 一番成績が良かった大会は、偶然にも近畿代表に選ばれ、なぜか三位とってしまったJSCA全国ブロック対抗です。全盛期だったと思います。今はそんなことほぼ不可能ですね。大阪中学とか大阪中央(高校)の思い出話もけっこうありますが、全部書いてると長くなっちゃうので書きません。


 なんと僕を除く公立組3名のうち一名は阪大水泳部にいらっしゃるのですが、今回はとりあえずおいておきます。超有名マイナーミュージシャンという共通の興味を持っていらっしゃるので、とても波長が合います。
 前回のブログの北畑くんも同じミュージシャンが好きみたいなので楽しみです。一緒に楽足りしましょう。ミーティングでは遮○大師を推しましたが、TRA○ELATORとか○撃手も好きですよ。

 ......いやあ、このままミュージシャン語りの記事に書き換えたいなあ。自己紹介とかどうでもよくなってきた。オンラインチケット買ってライブ観た話もしたいです。しないけど。またこんど!!

 現時点では目標は語りません。というのも、去年の僕と今年の僕の泳力はほとんど別個のものだからです。
 10ヶ月も泳いでませんでした!!!!!!!!!!感嘆符の雨降る道を(ry。(そんな単純な意味の歌詞じゃないだろ)
 競泳の良い面も悪い面も知っているつもりです。まあそんなことはどうでもいいので、とにかくさっさとタイム戻します。
 あと体重・体型も戻さないといけません。昨日試したのですが、今まで使っていたレース用の水着がめちゃくちゃきつかったです。2kgくらいしか増えてないんですけど、この2kgが案外でかいみたいです。

 自己紹介はこんなもんでお願いします。水泳部の皆様よろしくお願いします。
 次回はせいけくんです。












ここからは読まなくても全く支障はありません。
実は没にした文章があります。断片的ですが、僕の競泳における複雑な想いを吐露しています。
本当は闇に葬る予定だったのですが、出してもいいんじゃないか、と言われたので、せっかくだし出すことにしました。
僕のことを深く知りたい方向けです。そうでなければ、わざわざ読む必要もメリットも皆無だと思います。あと、添削に力を入れていないので、なかなか読みにくいです。
では。


最初は純粋だった。
練習を頑張ることが楽しい。友達とタイムを競うのも面白い。大ベストが出たら気分は最高だ。練習がきつすぎて泣くこともあったが、とにかく一生懸命、何の疑問も抱かず取り組めた。
中学一年、初めてJOの制限記録を突破したあの日、決勝を終えてダウンしに歩いていると一人の選手が声をかけてきた。彼は小学生の頃からとてつもなく速かった。僕からすれば雲の上の存在だ。
彼は笑顔で、僕にこう言った。「一緒にナショナル切ろうな」と。
僕は嬉しかった。まるでスポーツ漫画のワンシーンみたいだった。僕も笑顔で「頑張ろう!」と返した。
それから、海外への遠征合宿に招待してもらったり、近畿合宿に参加させてもらったりした。練習は最高レベルにヤバくて、正直サークルオーバーもしょっちゅうだったが、それでも乗り切れた。
同い年のすごい選手とも知り合った。JOの一歳上の制限記録をすでに突破している子もいた。僕は彼らにも憧れた。
これから、「彼」と一緒に、より一層高い次元へのし上がり、成長していくのだと思って。

だが、どうだ。
年下なのに僕より遙かに速いやつがごろごろいるし、全国に行けば地方の一位など全く相手にならない。僕が伸び悩んでいる間も、他の選手の伸びは止まらない。
後半が速いから、後半ペースが上がるからって、だからなんだというのだ。前半速くて後半も速いやつが一番強いに決まってるじゃないか。実際、そういうやつに負けたレースは何度もある。悔しいが、力の差が大きすぎる。
いつか、どうにか追いつこうと努力していて、気がついたら、勢力図も大きく変貌していた。
あんなに速かった選手が、決勝に残らないほどタイムが落ちていた。そうかと思えば、名前も知らなかった選手が、たった一年間でJOどころかナショナルも切っていた。しばらく経つと、また速さも変わり出す。
そんな不安定な競技なのに、なぜ、全てをベストタイムのためにつぎ込める人々がいるのか、僕にはわからなかった。
競泳では、時々こういうことが言われる。「他人が何秒で泳ごうと関係ない。お前はお前のベストを出して、自分なりに成長していけばいい」確かにそうだ。
しかし同時に、制限タイムや決勝ライン、表彰台のハードルは一切妥協がない。怪我で練習ができなかろうが、スランプだろうが、タイムという絶対基準の前では何の意味も持たない。努力、才能、根気、すべてこの一点に収斂する。
タイムが遅いのは頑張ってないから?いいや、どう見ても頑張っているではないか。みんな努力している。泳ぐことを彼ら彼女らなりに楽しんでいる。それで十分ではないのか?
人格も不可欠の要素だ。楽しさやうれしさを感じることは幸福だ。だが、それ以上に「速いか、遅いか」が競泳の全てを覆い尽くす。昔も今も、それだけは変わらない。
こういう、速さと自己満足が対立するダブルスタンダードに、僕は飽き飽きして、二、三度水泳をやめようと思った。

それでも僕は、あんなに嫌気がさした競争社会に、もう縁を切ったはずの競泳に、再び足を踏み入れている。
大切な友達や、僕のアイデンティティ、人生観はどれも、競泳に多大な影響を受けている。
競泳はきつい。時間がなくなるから、遊びに行ったり勉強したりする余裕がない。上には上がいる。
でも、僕は競泳のおかげで得た知識がある。友情がある。生活がある。もはや僕にとって、競泳とは良いか悪いかで二分できるものではなくなってしまったのだ。
酸いも甘いも、不平等も、不条理も、劣等感も優越感も、熱意も、あの瞬間の幸せも、競泳が教えてくれた。今の僕がいるのは、競泳のおかげだ。
そして、そんな競泳に、僕のパフォーマンスを最大限発揮できる時期は、今しかない。


水泳部の皆様には、これからご迷惑ばかりおかけすることになるかもしれません。ごめんなさい。そして、自分勝手な身ではありますが、どうかよろしくお願いします。
僕は、競泳に帰ってきた。