お久しぶりです。長らくブログを書いていませんでした。4回生の三浦です。
そして今回が最後のブログになります。
長くなりますが、読んでもらえると嬉しいです。
書きたいことがたくさんあるので、以下のように大まかに3つに分けました。
①復帰から冬季公認まで
②部活4年間を通して
③メッセージ
①復帰から冬季公認まで
同期の引退ラッシュから遅れること約3か月
先日の冬季公認にて引退となりました。
今年はコロナにより、春以降のラストシーズンのほとんど全ての行事が中止になってしまい、僕たち4回生は突如、宙に放り出されたような状態となりました。
全く先が見えないまま、引退or続行の決断をせざるを得ませんでした。
4月5月の時期はプールに行くこともできないし、水泳から一旦離れてしまっていたので、正直な所これからも頑張るという気持ちはプツンと切れていました。同期のみんなも同じように抜け殻のようになっていたと思います。
……………
それでも、どうしてもまだ辞めたくなかった。
僕が、阪大水泳部に入ったのも、ここまでずっと頑張ってきたのも、全国公出場という大きな夢があったから。
ラストイヤーこそは絶対全国公に出るんだという強い気持ちでずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと頑張ってきた。
ベストタイムも止まることなく伸び続けていました。
それなのに、ここで終わり??????
それはどうしても嫌でした。
全国公があるわけでも、みんなで目標の試合に向かっていくことがあるわけでもないけれど、何も無しに引退するという選択肢は僕には選べませんでした。
そうして、大学院入試が終わった後の8月の2、3回の練習と10月から冬季公認までのおよそ2か月の間、練習に参加させてもらうことにし、自分の中で区切りをつけるという意味で冬季公認に臨むことにしました。
しかし、その過程は思っていたものより数倍しんどかったです。
まず、体力がありませんでした。
長い距離を泳ぐだけでキツかったです。
練習タイムも春頃からはかけ離れていてなかなか苦しかったです。
次に、研究室との両立が想像以上にハードでした。
7、8月の院試期間はむしろ自分のペースで勉強するだけなので楽でしたし、気晴らしに市民プールに通っていたので、復帰できるやろって思っていましたが、いざ研究を進めていくとなるとやることがとても多くて、朝から晩まで学校にいる日が続き、以前まではノルマに追い込まれたことがほとんどなかった僕でしたが10、11月はノルマ行くのでほんとに精一杯でした。特に夜中の12時過ぎまで研究室の報告会があってそこから帰って3時間ぐらい寝て朝練行った日は限界でした。入るまであんまりわからなかったのに超ブラック研究室でした、、、
最後に、同期がほとんどいない状況というのは予想外に辛かったです。
曽根の行き道で、とても機嫌の悪い顔をしたあつお(早朝なので不機嫌)に会うことや、超防寒をしたつくちゃんが自転車で横を通り過ぎていくことがなく、、、
あ、みんな引退しちゃったんだな
というのを感じました。
そういう面ではとっきーとまさきが一緒に続けてくれたのは心強かったです。
けど、引退した同期たちも最後の方は日替わりで練習に来てくれました。
1日ずつでしたが、とっても楽しかったです。
みんなも久々の部活楽しかったと言ってたので嬉しかったです。来てくれてありがとう。
そういった過程の中で2か月練習して臨んだ冬季公認の結果は、、、
50Baベスト
50Frベスト
100Baベスト+0.8でした。
最後1種目の100Baは練習不足を感じました。
実は、ベストが出せなかったのは去年の「覇願大笑」シーズンが始まってからは初めてなんです。
去年の冬季公認、京都短水路、(先月の関国OB)
の試合では出場種目全て生涯ベストを更新しました。
なので今回も最後に全種目ベストを出したかったのですが、50はなんとかごまかしながら達成できたものの、100は泳げなかった期間のブランクを埋め切れなかったです。
10連続ぐらい続いていたベストが途切れてしまったのでむしろ引退レースとしてはぴったりのタイミングだったのかも?笑
みんな揃って、たくちゃんに勝ってくださいねって応援してくれたけど、負けちゃいました。
ごめんなさい。まぁまだベストは勝っ
冬季公認直前に赤信号が出された時は、もしかしてまた引退レースできない??って思いましたが、無事に終えることができたのが何よりも良かったと思います。
競技面ではもうやり切ったと感じるので悔いはないです!!
2か月間後輩たちには迷惑かけたかもしれないけど、練習参加させてくれてありがとう!!
これにて引退レース終了!!!
②部活4年間を通して
ここからは部活を通して今まで経験したことをつらつらと書いてみようと思います。
先ほども述べましたが、僕は全国公に出たいという一心で阪大水泳部に入部しました。
高校では大阪府の大会にギリギリ届くレベルだった僕にとっては、近畿や全国レベルの大会などに出場するということは到底不可能でしたし、考えたこともありませんでした。
しかし、大学では全国大会としては破格の(?)基準である全国国公立大学選手権があることを高校か浪人の頃から知り、200Baの団体権ありならもしかしたら僕にでも出れる可能性があるんじゃないかと思い入部を決めました。
大学で体験練習に参加した頃は、ブランク1年半ありましたが朝早く起きるのもすごくドキドキで楽しみで仕方ありませんでした。
しかし体験練で200IMのメニューをして、あまりにもしんどすぎて、「え?これあと4年できる??もしかしてミスった??」と思ったのを覚えています笑
当時の4回生(僕の3つ上)の先輩達がすごく練習にたくさん参加されていてとても刺激を受け、僕もとにかくいっぱい練習にいこうと思うようになり、1回生の頃はひたすら練習回数を積みました。
少しずつ速く泳げるようになって、全然ベストが出せなかった高校時代のベストは冬季公認であっさり更新できました。
部活いっぱい行って練習して、みんなといっぱい遊んで、とても楽しい日々でした。
しかし、2回生の時は急に部活が辛く感じることが増えました。
周りの人達との考えのすれ違いなどの人間関係です。
一時期は本当に部活に行くのがとても苦しくて、行きたくないっていうのを相談したりもしました。
水泳は好きでしたが、部活は嫌でした。
何回も嫌な気分になりました。
それでも部活を辞めたくなかったのは、頼れる人がいたおかげと、やっぱり水泳自体は楽しかったし全国公に出たかったからです。
水泳以外で悩み、辛かった時期を乗り越え、3回生前後はタイムも加速的に伸びました。
泳げばベスト
またベスト
今回思ったより遅かったー、でもベスト
そんな状況がどこまでも続きました。
これは間違いなく前々競泳主任の坂本瑞樹さんの影響だと感じています。
瑞樹さんは練習の振り返りをずっと強調していて僕も実際に振り返りをほぼ全ての練習に対して書きました。
僕は1回生のころまでは毎回の練習を頑張るとか追い込むというぐらいしか考えてなかったので、振り返りを書くという習慣はとても新鮮で刺激的でした。
競泳ミーティングでも振り返り率とベスト率に関しては正の相関があり、練習回数とベスト率には相関がなかったことを示してくれました。
(わからない人は数Iデータの分析を勉強!)
僕は今でも部内でその傾向はあると思っています。
振り返りについて大事だと感じたのは、気まぐれで書いたり書かなかったりするのではなく毎日当たり前のように書くことです。
そうすれば練習中に今日は何も意識できなかったなという日はかなり少なくなると思います。
もちろんレベルが高い人達は考えて泳ぐのが当たり前になっていると思うのでそういう人たちは大丈夫ですが、もし練習は結構頑張ってるのにタイムが伸びないなという人は是非振り返りをする習慣をつけてみてください。内容はなるべく具体的にというのがポイントです。
話が少しそれましたが、3回生の時は自身のタイムの成長だけでなく、部全体でもとても素晴らしい経験をたくさんするとことができました。
感動の七帝優勝
関カレ一部昇格
全国公入賞
などなど、輝かしい結果が多数あり、まさに「百花繚乱」のスローガンにふさわしい1年でした。
僕はチームのために得点を取ったりすることは出来ませんでしたが、応援するだけでも対抗戦は大好きでした。
特に去年の七帝はたくさんのドラマがあり、本当に去年の中で1番の思い出となり、一生忘れないと思います。
それくらい熱狂していました。
この激動のシーズンを終え、僕らは地元開催の七帝戦での男女アベック優勝という目標を掲げました。
スローガンは山田が自信満々で持ってきた

に決まりました。
勝って笑うという意味が込められています。
僕個人としては
全国公に出れれば、初の全国大会で引退。
全国公が切れなくても、生まれ育った大阪の地で去年のように七帝優勝を目指し感動の引退。
どちらに転んでも最高の終わり方ができると確信していました。
しかし、どちらでもない結末を迎えることとなりました。
去年の七帝2日目中止
今年のシーズン丸ごと消滅
ここから言えることは、
「自分たちの決めた最後が確実にやってくるほど未来は確かではない」
ということです。
今年のシーズンを、僕たちの無念だけで終わってしまうのはマイナスしか残りません。
後輩の皆さん
これからどうしようもなく辛い状況に陥ってしまうこともあるかも知れません。
それでも、自分たちのシーズンが完全に無くなってしまうよりはマシだなと思って、頑張る原動力にしてもらえればと思います。当たり前に部活ができることへの感謝は忘れないでいてください。
③メッセージ
ブログ長くなってますね。
もう少しで終わります笑
▶︎1回生
あんまり会ってないから1回生とはほとんど仲良くなれないやろなーって思っていたけど、この2ヶ月間の、特に最後の方で、色んな1回生と話せて面白かったです。
すごい水泳熱心で頑張り屋さんが多いなと思いました。みんなめちゃめちゃ速いし、壮ちゃんもしょうたろうに鍛えられて泳ぎ超上手くなったし、これからも君たちの活躍を楽しみにしています。
まだまだ同級生同士でも知らないことだらけだと思うから、お互いをよく知って、尊重しあって、良いチームになってください。
4年間苦楽を共にした仲間は素晴らしい財産ですよ。
▶︎2回生
去年は毎日大はしゃぎしてたような気がするけど今年はなんか落ち着いたように見えます。やっぱり後輩入ったからかな?笑
春頃はもっとこの回生と仲良くなりたかったなと思ったけど、復帰してから同じチームだった京吾やとみー達とはたくさん話せて前より仲良くなれた気がします。どうもありがとう。
あとは、これまで何度も何度も練習&レースで死闘を繰り広げた拓ちゃん。本当に負けるのが嫌だったから練習でも死ぬ気で倒しにかかってました。まったく憎い後輩ですが、拓ちゃんのおかげで最後1年速くなれたことは間違い無いと思います。2バック全国公出場の夢は託したので何としても果たすこと!!!
2回生はすごく優しくて思いやりのある回生だと思うのでこれからも同期や後輩を大事にしてチームを作り上げていってください。ずっと応援しています。
▶︎3回生
3回生とは過ごした時間も長くて、みんなとすごく親しくなったかな。
特に航や名南子、三菜、こんちゃん、ちくまたちとは何回も練習で一緒に泳いで、追いついたり追いつかれたり色々ご迷惑をおかけしました。むねりんのメニューを一緒にやり切った仲間でもあります笑
今思えばBチームは今の3、4回生が多かったね。いっぱい切磋琢磨できて楽しかったです。ありがとう。

いつも練習の行き帰りで一緒だった裕汰(美月も)
駅から部室向かう時とかよく話したね〜、歩いた道とかは結構思い出に残ってそう!またローソン寄ってアイスでも食べよう
3回生はまだまだコロナの影響が出てもおかしくない不安な状況だけど、最後に悔いが残らないように無事にやり切って欲しいなと思います。
来年かっこいい引退姿をみれるのを楽しみにしています。
▶︎4回生
まさか僕がこんな最後の方に引退することになるとは思いませんでした。
最終年度、マネージャーで今まで支えてくれてきたあずみも泳ぎ始めて、みんなで七帝に向かうのがとてもとても楽しみでならなかったし、今でもやりたかったなって思います。
もし、コロナがなかったらどんな感じの終わりを迎えたかな??
龍一郎は年1回しか出さないベストを出したでしょうか
山田はニヤニヤしながら大会前に七帝関連のコラ画像見せてきたと思います
いつも暴言ばかりのあつおも、本当は超仲間思いやからみんなの引退レースみて泣いてたかな
考えるだけでも楽しめます。
最後の年がなかったのはやっぱり寂しいけど、今までの思い出もたくさんあるし、これからも繋がりは切れないと思うから、また遊びましょう。
卒業式か引退式かで会えるのを楽しみにしています。
みんな今までありがとう。


▶︎他大学の友達
今まで合宿や試合で全国各地に知り合いができました。たくさんの人と仲良くなれて試合で会えるのがとても楽しみでした。
2回の冬のミドロンは個性的で、水泳大好きな人ばっかりに囲まれて超楽しかったです。
大好きな思い出の一つ。

阪名?名阪?やりたかったなー。
名大の食堂でコンパするの楽しみでした。
またいつか会いたいです。
神大の後輩たちはまるで部内の後輩のように慕ってくれて嬉しかったです。
引退レース後に「りょうせいさんとマジで全国行きたかったです!」と言ってくれたときは泣きそうでした。これからもライバル校として頑張ってね。

▶︎先輩方
毎年、特に最上回生の先輩方の姿はとても眩しく自分もいつかこうありたいという思いを沢山させてくれました。自分がここまで水泳にのめり込むことができたのも先輩方のおかげです。僕たちの代は終わってしまいましたが、後輩達はこれからも続きますのでこれからもご支援お願いします。
とても長くなりましたが、以上で終わろうと思います。
阪大水泳部で過ごした日々は宝物です。
今まで関わってくれた皆さんありがとうございました。
#覇願大笑
三浦涼靖