もう一度 | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

お疲れ様です。
やってきました1回生リレー。
初めまして、1回生の三浦です。
まずは今日のメニューからです。
今日の練習はアップの後P/Sで脈をあげてAgilityをし、50×6をE/H or 4R.P./E/Hでした。僕はIMOでR.P.をしたのですが、体が重く1本目から全然タイムをあげれませんでした。貴重な練習機会を無駄にしないようにケアを怠らないように気をつけます。


最初のブログなので自己紹介から。
・名前 三浦涼靖
・学部学科 工学部応用理工学科
・出身 大阪府立北野高等学校

次に水泳歴と阪大水泳部に至るまでを少し話してみようと思います。


僕は水泳自体は2才から始めていました。その頃の記憶は全くないのですが、母親に聞く話によると水がとても嫌いでプールに入るたび泣き叫んでいたようです。その時母親が無理矢理僕をプールに入れていなかったら、今の水泳大好きな僕がいないのは間違いありません。母親には感謝しています。

それから小学生の間は選手コースに行くこともなくジュニアのコースで週1、2回のただの習い事のように水泳を続けていました。(水泳歴だけやたら長い理由はこの小学校時代にあると思います笑)中学では水泳以外に特に好きなスポーツもなかったので迷うこともなく水泳部に入りました。

中学最初の大会で事件が起こりました。僕はてっきり200mメドレーリレーに出るもんだと思っていたのですが、当日200m個人メドレーを泳ぐのだと知って、小学生の頃は50mのタイムしか測ったことがなかったので、出場がわかって非常に驚いたのを覚えています。(完泳がやっとで溺れかけてたのは言うまでもありません。)最初は専門を個人メドレーにして伸びる種目があればその種目を専門にすればいいという考えで、中学の間はほぼ全ての大会で個人メドレーに出場していたのですが、いつの間にか個人メドレーが1番やりたい種目になっていました。最初がとても遅かったのもあるのですが中学3年間で200m個人メドレーが45秒ぐらい伸びました!

そこからもどんどん伸びると思い高校でも水泳を続けました。しかし高2の夏前ぐらいで伸びがほぼ止まってしまいました。特に高3は不甲斐ない結果で終わってしまい、水泳の結果としては全く満足できるものではありませんでした。さらには大学受験にも失敗し、浪人生になってしまいました。その頃は自分の情けなさや弱さ、劣等感などにひどく悩まされていて、高3の後半とと浪人中は自分のことが大嫌いで、よく自己嫌悪に陥っていました。(高校ではタイムこそ悪かったものの、最高の仲間達に出会うことができ、居心地も良く、高校の水泳部とそこでの仲間達は今でも大好きです。)

そこで、こんなボロボロな自分と決別してもう一度輝きたい、大会でベストを出した時のあの嬉しさをもう一度味わいたい、という思いと、高校の同期が大学でも水泳を続けていたのが羨ましかったということも重なって、高3で終わりだと考えていた水泳を浪人中にもう一度やりたいと思うようになりました。

晴れて大学生になり、大学生っぽく試しにいろいろなサークルに行ってみて楽しかったんですが、やっぱり自分がしたいのは水泳だと思い入部しました。

と、ここまで長くなったんですが(全然少しじゃないですね笑)、最後に阪大水泳部員としての目標を書きます。

それは、全国公に出場すること。
これが僕の水泳を続ける意味のほとんどを占めていると思います。人によっては小さい目標だと思われるかもしれませんが、僕にとって全国公はとても魅力を感じる大会であり、大学での水泳の最大の目標です。まだまだ実力的には及びませんが、苦手なFlyとBrをもっと改善し、戦えるようになって、思い入れのある200m個人メドレーで制限タイムを切って出場したいです。2回生が終わるまでに切るのが今の目標です。

もう1つは、部活を辞めるときにやりきったと思えること。
高校の時のように消化不良にならないように、ベストが出ても満足するばかりでなく、常に上を目指し、自分の限界に挑戦し続けて部活を終えようと思います。

これら目標を達成できるよう日々頑張っていこうと思います。
以後、よろしくお願いします。

長くなりました。次はかれこれ5年目の付き合いになる「龍ちゃん」こと1回生の橋本龍一郎君です。