雨のあとに虹 その119
「高村さんと久保田さんが腕を組んで歩いて来てください。」
スタッフが指示を出している。俊之は指示を受けた方向を確認した。
「行きましょう。」
直子は言って俊之に腕を絡ませてきた。
「行こう。」
俊之が言って直子と一緒に歩き出した。
「そのままずっと歩いて来てください。」
スタッフの指示は的確であった。歩きながら直子が俊之に体重を預けてきた。俊之の歩くテンポが少しだけずれた。
「久保田さんの動きがわざとらしく見えるので自然にお願いします。」
スタッフから注意を受けた。
「あまりオーバーだと撮直しになるよ。」
俊之が直子に言った。
「少しわざとらしかったですね。」
いたずらっぽく直子が言って微笑んだ。俊之はその直子の顔を見た。
「もう1度お願いします。」
スタッフが言った。直子のわざとらしかった演技は撮り直しになったのである。
俊之は学生時代から女性に特別もてる男ではなかった。小学校の頃はせいぜい片思い程度の恋で終わっていた。中学では好きな女の子に告白はしたがダメであった。俊之は顔もスタイルも悪くはなかった。高校時代は女性の友達は居ても彼女は居なかった。大学に入って成人式を終えた頃に出会った女性が始めての彼女だった。その彼女は二股をかけていて俊之はいわゆるキープだった。三友商事に入って出会った女性は結婚と恋愛は別と考えていて俊之と付き合っていた。その女性は俊之と1近く交際した後にある財閥の跡取りと結婚してしまった。その次に出会った女性は最初から俊之を遊びの対象としか見ていなかった。更にその次に出会ったのが麗子だった。
「思ったよりこなせてよかったね。」
休憩から戻った久美子が小百合に言った。
「一時はどうなるかと思ったけどやっと落着いたね」
小百合が言うと
「もう少しだね。」
久美子は言った。
「がんばろう。」
小百合が言うと
「今日は夕方で上がって実家へ帰るからお願いします。」
久美子は冗談交じりに言った。
「あとは私たちがきちんとやるから実家でゆっくりして来てね。」
小百合が言うとやっと休みが実感できる久美子であった。
「私は昨日からずっと緊張していたのかも知れない。」
と久美子が言った。昨日の事は20歳の久美子にとってショックな出来事だったのは確かである。通常の20歳の女性が体験しない事に接したのだ。久美子は大人への階段を上って少しずつ人生の裏側を見なければならない時期にきていた。俊之やひとみは自分が思ったより凄い体験をしているのだと久美子は改めて感じていた。
「お客様こちらでお待ちください。」
小百合が対応する声が久美子の耳に入ってきた。
「お待たせ致しました。」
言いながら久美子は慣れた手つきで対応をはじめた。
「カットです。」
スタッフの声が響いた。
「思ったより早く終わったね。」
俊之が直子に言った。
「早く終わってちょっと残念です。」
冗談交じりに言った直子の真意がつかめない俊之は
「僕たちで時間を取ってはいけないと思った緊張したよ。」
と学校の教師が生徒に諭すように俊之は直子に言った。
「高村さんはまじめですね。」
直子が俊之の目を言った。
「まじめも何も僕たちはエキストラだかね。」
俊之は言うと直子は静かに。
「つまらないな!」
と呟いた
「それではあとはお願いします。」
久美子は言った。帰ろうと周囲を見回すと
「大丈夫だから心配しないで!」
小百合が頼もしく言ったので久美子も感心していた。
「それじゃ!」
久美子は言って軽く右手を上げると
「お疲れ様でした。」
小百合は言った。久美子はエスカレーターで下へ降りていった。駅の改札口は隣接しているので移動の時間は短くてすんでいる。久美子が改札を通りホームへ上がるとタイミングよく電車が入ってきたところだった。駅のアナウンスが響く中で電車が静かに停車した。久美子が乗ってドアが閉まる。実家へ帰るとは言えここからは2時間ほどの場所である。明日1日は実家でゆっくり過ごして明後日には戻って来るのだ。久美子は少し寂しいような嬉しいような気持ちに加えて少しの不安が心に渦巻いていた。久美子はわずかな休日は何となくいつもの生活リズムを狂わしてしまうように思えてきた。
雨のあとに虹 その118
年が明けて2日目の朝が来た。まだ休日であるが営業している職種も多いのだ。駅ビルは昨日休んだだけで今日から営業での店舗も多い。
「おはようございます。」
久美子は元気よく言った。20歳という若さを武器に出来る若い久美子は寝不足であってもアルコールが残っていても一切関係なく元気であった。疲れなどすぐに回復してくるのである。久美子は特にスポーツをしているわけではないが運動神経はい良い方である。どこかの雑誌モデルとまではいかないが美人系でもある。久美子は服装によって雰囲気が大きく変るタイプであった。俊之がプレゼントしてくれたイヤリングを付けただけでも大人の女へと変貌していた。
「堀川さんのお正月はどうだった?」
小百合が言った。
「普通のお正月だったよ。」
久美子が言うと
「彼氏とデートしたでしょ?」
小百合は冗談半分に言った。
久美子は
「デートしたよ。」
と言ってみた。
「やっぱりね。」
小百合が言った。
「ついでに店長にもばったり会ったよ。」
久美子が言うと
「何処で会ったの?」
小百合は言った。なかなか仕事モードにはなれない雰囲気であった。
「それではこれから撮影に入ります。」
スタッフがマイクを使って言った。郊外の遊園地内で撮影が始まるところだった。俊之はいつもの時間に起きて集合場所に来て
「僕はここで待っていれば良いですか?」
俊之が言うと
「そこでお願いします。」
スタッフは言った。
「解りました。」
俊之が言うと
「今日は早く終わりそうですよ。」
スタッフは言った。俊之は近くにある椅子に座って撮影スケジュールを確認した。声がかかるまではこの位置で待機である。俊之は頭の中で昨日の事を思い出していた。久美子は出会った頃に比べると急に大人になったように感じた。久美子と出会ってからわずか2ヶ月ほどしか経っていないが若い女性は急に変わる時がある。
「こんにちは。」
直子が言った。俊之はその方を見ると直子が立っていた。
「またお会いできましたね。」
直子が言って俊之の隣に座った。
「年末からよく会いますね。」
俊之が言った。
「年末年始は忙しかったですか?」
直子が言うと
「今回は意外と急がしかったような気がするね。」
俊之は言った。
「年末でも仕事があるのは良い事だよね。」
俊之が言った。そこで
「すみません。」
とスタッフが言った。」
「はい。」
俊之は言って立ち上がった。
「本番お願いします。」
スタッフの声が響いた。
「いらっしゃいませ。」
小百合が言った。久美子はひとみの変わりに店長の役割をしなければならなくなったのであるがそれは仕方がないのである。昨日はひとみにとってもある意味でショックが大きかったはずだからだ。今日はひとりでゆっくりした方が良いかもしれないと久美子は考えていた。
「ひと区切りがついたら休憩に入ってください。」
久美子は小百合に言った
「それでは休憩に入りますよ。」
小百合が言った。
「お疲れ様です。」
久美子は言って時計を見た。
「お待たせいたしました。」
別の女性店員の声が聞こえている。
「もうすぐ私も休憩に入るからよろしくお願いします。」
久美子は言った。久美子の言葉には落着きがあって臨時の店長代理もきちんとこなしている。それでもひとみがないと心細いものである。店は予想外に混んできていた。
雨のあとに虹 その117
「とりあえずは災難を回避出来てよかった。」
育子はほっと一息ついて言った。育子の霊感は良い事も悪い事もよく当たるのである。胸騒ぎがすればその確率は確実にまで上がってくる。だから今日は心底から気になったのであった。
俊之たちは元日であることを思い出したように居酒屋で和んだ雰囲気を満喫していた。
「石倉さん。」
と言いながら俊之はひとみにビールを注いだ。
「すみません。」
ひとみは継いでいる俊之の目を見て言った。
「次は関口さん。」
関口は恐縮して
「これはすみません。」
と言った。俊之は他の3人にも注いだ。
「翔ちゃん。」
俊之は翔太と視線を合わせながら注いだ。
「どうも。」
翔太が一番リラックスして言った。
「久美ちゃん。」
俊之が言うと
「はい!」
久美子は言って俊之を見た。
「久美ちゃんには嫌な思いをさせてすまなかったね。」
俊之は久美子に注ぎながら言った。自分の事で久美子に嫌な思いをさせたくなかった俊之である。
「俊さんが謝る事はないですよ。」
久美子は言った。
「くみちゃんの発言は参考になったよ。」
俊之が言うと
「あれが正直な気持ちです。」
久美子は言った。
「僕が力不足なのがいけないね。」
俊之が言うと
「俊さんは自分が出来る事を一所懸命にやっただけですよ。」
久美子は言った。一番若い久美子が一番冷静なのが不思議なくらい今日の久美子は大人であった。
「くみちゃんに元日から嫌な思いをさせてしまったね。」
俊之が言うと
「それが恋人であり友達ですよ。」
と言いながら久美子が俊之のコップにビールを注いだ。
「あとは僕たちで解明しますよ。」
翔太が言うと。
「何を言うのですか?」
久美子が言うと翔太は驚いて
「えっ!」
と言って久美子を見た。
「俊さんと店長が辛い目にあったのに黙って見ていられるわけないでしょ!」
久美子は翔太を一喝しそうな勢いで言った。俊之には久美子がこの場にいない育子の分まで存在感を発揮しているように見えていた。
「あまり無茶はいけないよ。」
俊之が言うと久美子は
「無茶はしないですよ。」
と言った。
「危険があるかもしれない。」
俊之が言うと
「自分の彼氏が被害を受けて黙っている女は居ませんよ。」
久美子は言った。俊之は久美子が酔ったと錯覚するほどであった。久美子はただ怒りを抑えられなかっただけである。
「堀川さんもごめんなさい。」
ひとみは今更のように自分の軽率さに後悔して言った。
「育子さんだったらもっと熱いですよね。」
久美子は言ったあとにみんなを見ていたずらっぽく笑った。
お正月とは言えまだ陽があるうちにからアルコールを口にした俊之であったがそんなに分量は飲まなかった。前日から寝ていないのですぐにノンアルコールに切替えてみんなに気分よく飲ませる役割を果たしていた。特にひとみと関口たちには配慮していた。関口は自分の目の前で親しく接している俊之がかつて三友商事のエリート社員である事など嘘のようで思えていた。エリートとはいつも高いところから自分たちを見下しているものと思っていたが俊之にはそれがなかった。同じ目線で話をしてきちんと関口たちの気持ちも察してくれていた。関口はこういうエリートもいたのだと気付いたが俊之は特別な存在かもしれないと思っていた。俊之は表情やしぐさもそうだが言葉遣いなどにどこかにエリートの片鱗も見えている。関口にとっては雲の上の存在の俊之である。この気さくな俊之のためにならいつ泥をかぶっても良いと関口は思った。関口はそれだけ俊之の人柄に惹かれていったのである。