雨のあとに虹 その59
久美子は疲れて部屋に帰ってきた。翔太と一緒に警察で事情徴収をしてきたのだ。及川には他にもストーカーや婦女暴行などの余罪があると警察の担当が言っていたのだ。担当の警察官の話を聞き終わった時に久美子の背筋に冷たいものが走った。近くまで翔太が送ってくれたからよかったがひとりでは帰れないくらい久美子の精神は混乱していたのだった。部屋に入った久美子は
「今は何時かな?」
とひとり言を言って時計を見た。 翔太は久美子の部屋の明かりが点くのを確認したがそれでもしばらく立って久美子の部屋を心配そうに見ていた。静かに時間だけが過ぎていった。
「よし。」
翔太は言って歩き出した。大丈夫だと思うが明かりが点いただけでは安全の確認は出来ない時がある。ある一定の時間が経過して何事も無ければはじめて安全が確認できるのである。翔太はタクシーを止めて乗り込んだ。
俊之が三友商事の本社を訪れるのは4年ぶりである。正確には年が明けて春が来れば4年になる。でも、この建物に来るのははじめてである。俊之が在職中には都心に本社があったのだが今は湾岸沿いに移転していた。俊之は受付の前に立って。
「高村と申しますが取締役の山本取締役まで約束で来ました。」
と言った。受付担当の女子社員は
「高村部長。」
と話かけてきた。俊之はその女子社員の顔を見て
「小谷まどかさんだね。」
と言った。
「覚えていて下さったのですね。」
まどかが言う。
「もちろん覚えているよ。」
俊之は言った。
「それは嬉しいです。」
まどかが言った。
「小谷さんも元気そうでよかったよ。」
俊之は言った。
「山本取締役ですね。」
まどかが言った。まどかは山本のところに俊之を案内する時に
「高村部長は少しやせられましたね。」
と言った。
「僕は退職した人間だからもう部長じゃないよ。」
俊之が言うと
「今でも高村さんは部長ですよ。」
まどかが言った。
「在職中は小谷さんにはお世話になったね。」
俊之が言うと。
「とんでもないです。」
とまどかが言った。
「本社も移転してみなさん張り切っているみたいだね。」
俊之が言うと
「そうでもないですよ。」
とまどかが言った。
「どうして?」
俊之が言った。俊之はまどかが言っている事が気になったのだ。
「高村部長がいらした頃は良かったけど今は榊原さんと貴志さんがやりたい事をし放題をしています。」
まどかが言うと
「相変わらずだね。」
俊之は言った。
「あのふたりは特にですよ。」
まどかが言った。
「山本さんは何も対応してくれないの?」
俊之は言った。
「ダメですね。」
まどかが言った。
「それはひどいね。」
俊之が言うと
「田所さんは意地悪やセクハラばっかりで最低ですよ。」
まどかが言った。
「あの3人は相変わらずだね。」
俊之は言った。
「おはようございます。」
久美子は言った。久美子は昨日の事が頭から離れなかったが休んでしまうと同僚に迷惑がかかるので何とかぎりぎりに出勤したのだった。
「おはよう。」
ひとみが言った。
「今日は忙しそうですね。」
久美子が言うと
「今日は風邪でひとり休みなのよ。」
ひとみが言った。
「それは大変ですね。」
久美子が言うと
「大変だけどお願いね。」
ひとみが言った。
「みんなで何とかしましょう。」
久美子は言った。かえって忙しい方が気もまぎれるかもしれないと久美子は思った。カウンターに立った時に時報がなった。すべての店舗が開店する時間である。トレンドカフェは朝一番の客は少ないがお昼にたくさん入ってくる。それから夕方まで混む時と空く時が1時間ごとに訪れる。呼吸を合わせて仕事をこなせばひとりくらい休んでも乗り切れるだろう。久美子はそんな事を考えていた。最初のお客が入ってきたので
「いらっしゃいませ。」
とひとみがが言った。ひとみは珈琲の準備を終えたところだった。
雨のあとに虹 その58
俊之は身体が少しずつ楽になってきた。起き上がって身体を動かしてみた。朝のようなだるさがなくなっていた。どうやら明日はいつもように仕事が出来そうである。久美子が入れてくれた珈琲を飲みながら深呼吸をしてみる。すっかり久美子に甘えた俊之だが風邪には勝てなかったのだ。俊之のような中年男性が久美子のような若い女性に優しくされることは少なくなっている現実みれば俊之は比較的誰にでも好意を持たれるタイプなのかもしれない。久美子が居た時間はまるで夢でも見ていたようなひと時であった。そんな事を思っているとインターホンが鳴った。誰だろう?この時間に珍しいと思いながら俊之は玄関に出てみると絹枝が立っていた。
「糸田さん。」
俊之が言うと
「来週から見回り隊のパトロールをやりますよ。」
と言いながら絹枝が玄関から入って来た。パジャマ姿の俊之を見て
「どうかしたの?」
と絹枝は言った。
「昨夜あの後に噴水に落ちましてね。」
俊之は言った。
久美子は純子と別れて自分の部屋へ急いでいた。まだ、そんなに遅い時間ではないうえに人通りもあるので横道に入って近道をしようと思った。大通りを通るより少し寂しい通りなのだが抜け道になっているので便利である。周囲に通行する人がほとんどいないのが不安ではあるが少し急ぎ足で歩けば何とかなるだろうと思った瞬間だった。久美子は不意に口をふさがれ押し倒されてしまった。久美子は抵抗した。
「やめて。」
久美子は言うが口を抑えられているので声にならなかった。
「おとなしくしろ!」
相手の男が言う。
「助けて!」
久美子は言うが口の中で言葉にならないでいた。気をするのも苦しいくらいであった。久美子は全身の力が抜けていった。
「やめろ。」
の声とともに翔太が相手の腹部を蹴り上げた時には久美子の意識は半分薄れていた。男がひるんだ隙に久美子を男から放した翔太はパンチを一発だけ男に命中させた。久美子は何が起こったか解からなかった。少しずつ気持ちが落着いてきた時には翔太が男を押さえつけていた。久美子は翔太が押さえつけている男の顔をしっかりと見た。その男は及川だった。そしていつの間に現れた関口たち4人が及川を逃げられないように押さえつけていた。
「大丈夫ですか?」
翔太は言った。久美子は
「はい。」
とだけ言った。久美子はまだ震えている身体を気にしながら翔太を見た。
「危険だから気をつけないとね。」
翔太が言った。
「先日に助けていただいた方ですね。」
久美子は言った。翔太は
「嫌かも知れませんがこの男を警察に突き出しましょう。」
と言った。久美子は
「警察にですか?」
と言った。
「この男がした事は犯罪ですからきちんと方の裁きを受けさないといけないです。」
と言った。久美子はいつのまにか瞳から涙が流れてくるのを自覚していた。なぜだか理由は解からないが涙があふれてきて止まらなかったのである。
「本当にもう大丈夫です。」
俊之は絹枝に言った。
「遠慮しなくていいわよ。」
絹枝は言った。
「悪いですから大丈夫です。」
俊之が言うと
「何か温かいものでも作って来ようか?」
言い続ける絹枝に
「そろそろ旦那さんがお帰りの時間じゃないですか?」
俊之は言った。
「もうそんな時間なの?」
絹枝は言って腕時計を見た。
「いろいろすみません。」
俊之は言った。
「困った事があったら遠慮しないで言ってね。」
絹枝は言った。
「その時にはお願いします。」
俊之が言うと
「私たちはお隣さんだからね。」
絹江は言った。
「いつもすみません。」
俊之は言った。俊之は絹枝の気持ちは嬉しかったが絹枝は既婚者である。誤解を受ける行動は慎んだ方が良いとまじめに考えていた。俊之は絹枝の旦那さんの事をよく知らないから余計に気を使うのであった。
雨のあとに虹 その57
「田崎さん!」
みどりが言った。
「はい!」
田崎が言うと
「高村さんって脚が長くないですか?」
みどりが田崎に言った。
「脚が長い?」
田崎が言うと
「そうですよ。」
みどりが言った。
「そうかな?」
田崎が言った。
「身長にくらべれば脚が長いと思うけど。」
みどりが言った。
「そんなによく見ていなかったからね。」
田崎が言うと
「あの世代の人にしてはバランスがとれていると思わない?」
みどりは言った。
「そう言われてみればそうかな?」
田崎は言った。
「高村さんは20代の人に負けていないですよ。」
みどりが言った。
田崎は
「それは拳法をしているからだよ。」
と言った。
「その冗談は面白くないわよ。」
みどりは冷たく言った。
「そうだよね。」
田崎はそう言うしかなかったのである。
「その人に一緒に来てもらえばいいのにね。」
久美子は言った。久美子は純子に付合って産婦人科の待合室にいたのである。
「それがだめなの。」
純子が言う。
「どうして?」
久美子は言った。
「俺の子じゃないって言うだけだもの。」
純子が寂しそうに言った。
「そんな事を言われたの?」
久美子が言った。
「冷たいのよね。」
純子が言う。
「その人にはっきり言わないとダメでしょ!」
久美子は言った。
「そうなんだけどね」
純子は言ったが歯切れの悪さに
「そこで逃げる男は最低だわ。」
と久美子は言った。純子のことであっても久美子は怒りが込上げてきたのだった。
「高村を呼び戻すという事を本気でお考えですか?」
榊原は山本に言った。
「そういう事だ。」
山本は言った。榊原は
「そうですか。」
とだけ言った。
「高村くんが辞めた後は君を後任にしたが成果が良くないね。」
山本は言った。
「それはすぐに挽回してみせますよ。」
榊原が言った。
「貴志と田所が会社にとって良くない行為をしている事を私が知らないとでも思っているのかね?」
山本はさらに言った。榊原は
「はい。」
としか言えない。
「高村くんは正式に打診していないが帰って来てくれると嬉しいね。」
山本は追い討ちをかけるように言った。
「これからどうするの?」
久美子は純子に言った。すぐに答えが出るはずはないのだが時間がないのだ。早めに対応をしなければいけない。
「どうするって聞かれても中絶するしかないよ。」
純子は力なく言った。
「中絶なんてそんな事を!」
久美子は言ったが言葉が出ない。無責任な事は言えないのだ。
「それしかないからね。」
純子は力なく言った。そんな純子に
「他に良い方法を考えようよ」
久美子は言ったが久美子の頭も真っ白だった。