『通じる』という癒し | wai blog~日々是安泰~

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話が通じる。

こまごま説明しなくても、わかってもらえる。

 

これは、癒やしだと思った。

 


東京方面から仕事で石川に移住してきたAちゃんと久しぶりに会った時

「石川県に友達がいなくて、さみしいのよね。」

と言っていた。

 

それは、友達が0ということではなくて、

話が通じる友達、わかってもらえる友達が少ないということ。


「だから、もっぱら大学時代の友達と連絡とってる。」

 

「仕事の付き合いで知り合いは多いのよ。

でも、友達っていうのと違うじゃん。

気を遣う会話じゃなくて、ツーカーで話せる感じって、やっぱり同級生にかぎる。」

 

その感覚、すごくわかる。

 


 

それにしても、この会話、少し前にも聞いたぞ。

 

金沢のとあるカフェで。

 

隣に座っていた30歳前後の女性2人組。

声が大きく、席も近かったので、会話が丸聞こえ。

聞きたくなくても、耳に入ってくる。

 

どうやら、都会から石川に仕事で来た子と、彼女に会いに金沢に遊びに来てくれた幼なじみらしい。

 

「石川で、友達がいないの!


散歩してて、犬連れた人とかと、軽く会話を交わすことはあるよ。

でも、その後に、ちょっとお茶でもしましょう、なんてならないでしょ。

 

今日ひまだな、家に来ない?ちょっと飲もうよ。

って言える友達がいないの。

しんどいわ~」

 

あー、なんかわかるなぁ。

この子の気持ち。

私にも、そういう時があったから。

 

別にこれは、石川県に限らずだろうけど。

友達のいない環境って、なかなかこたえる。

 

 

この夏は、アメリカから同級生が二人帰ってきて、久しぶりに会えたのだが

なんというか、もう、「すごく楽でいいわ~!」を感じた。


 

次から次へと話が溢れ出る感じが、たまらなく楽しかったのだ。

 

別に思い出話をするわけではない。

現在の話をしていても、「うんうん、わかる、わかる」の連続。

 

アメリカと日本。

環境は全く違うんだけどね。

それでも、「わかるよ~」なのだ。

 

 

もう一つ、「通じる」ことの喜びを体験する出来事があった。

 

一時、夢中になって作ったアジア布のポーチ。

 


アメリカに住む友達に喜んでもらえるかも、と思ってプレゼントしたら

 

「ケバヤじゃん!素敵~

アジアだねぇ。うれしい~ありがとう」

 


Aちゃんは、このバッグを見て

 

「シンガポールエアだね。

ステキ!お土産?いいね~」

 

ケバヤ、シンガポールエア。

この単語が普通に出てくること。

 

この何気ない会話の中に「通じる、わかってくれてる」が存在していた。

 

同時に湧き上がるなんともいえない暖かい感覚。

うれしかったなぁ。

 

 

通じるって、癒されること。

 

「余計なことを言わなくても通じるっていいよね。

年を重ねれば、重ねるほど、同級生のありがたみを感じるかも!」

とAちゃんと笑った。

 

 

マンガでも、カルチャーでもそう。

 

「あれ、面白かったよね。はまったよね。」

同時代に同じ目線の高さで見たものがあるだけで結構、癒やされるものなのだ。

 

ツインピークスの時もそうだったっけ。

 

 

 

「通じる」友達、大切にしよう。

 

wai