如月2月、梅が咲き始めた…! | 季節の花と短歌と共に

季節の花と短歌と共に

 このブログでは、私の住む横浜市旭区にある「こども自然公園」で、散策をしながら見つけた季節の草木に目を向け、紹介していきたいと思います。さらに、植物に対して感動、感謝や感情を込めて、拙い自作の短歌を共に載たいと思います。

  久しぶりに、都心にどか雪が…!

 今年は、1月1日から日本中が凍りつくような天災や人災が起こりました。真冬に被災された方々には、何とも声のかけようもありませんが、一刻も早く立ち上がり、また立ち直って欲しいと願っていす。一方政府には、出来るだけ速やかに復興支援の対策をしてほしいと思います。”キックバック”だ”裏金”だと騒いでいる暇があるならば、その問題になったお金を、「自民党の派閥の者どもよ、全部没収し、復興支援の費用に充てることにする。文句があるか、この桜吹雪が見えないか…⁉」と、どこかの国の総理大臣が気持ちよく裁いてくれれば、国民の殆どが納得し、内閣の支持率も格段に上がるのではないかと思います。カンペ丸読みの、眠くなるような国会答弁では、誰が総理になっても変わらずですね。期待などできるはずがありません。そんなこんなで、あっという間に1月が過ぎてしましました。2月の節分を過ぎたら暦の上では春ですが、都心では久しぶりの大雪が降りました。私の記憶では、2年ぶりかなと思います。2年前は1月の正月明けの頃でした。首都高に沢山の車が立ち往生したのを覚えています。実は、私も鴨川の温泉に行っていたのですが、大雪になるという天気予報を聞いたので、朝食もそこそこに9時ころに急いで帰路につきました。そしたら途中から雪がちらほら、焦りながら横浜まで帰ってきたことを思い出しました。昼過ぎにはあっという間に積もりだしたので、間一髪で難を免れました。今回は、2月。昼過ぎ半からみぞれが降り出し、朝起きたらしっかりと積もっていました。いつもはバイクで通う4㎞の道を、約一時間かけて歩い通勤しました。湿った雪だったので解けるのも比較的に早く、助かりましたが…。翌日に、日陰にはまだ雪の残るこども自然公園に行ってみました。桜山の北側はゲレンデの様でした。所々雪解け水で歩きにくいところもありましたが、散歩に人は多く見られました。誰がつくったのか、大きな雪だるまだっただろうなと思われる融け残りも幾つかありました。しばらく歩いて行くと梅林に到着です。樹下にはまだ所々に雪が残っていました。雪の重みで散ったピンクの花びらが、白い雪のキャンバスに幾枚も。そのコントラストは、めったに見ることができないので風情を感じました。また、せっかく咲き誇っていた枝が、雪の重みで折れて無残にも地べたに…。まだまだ元気のよい花や蕾が付いていて、悲しい気分になりました。公園の植物なので、一部を持って帰って家の花瓶に挿すという訳にも行きません。「ああ無情」といった心境でした。今年から来年の3月にかけて、公園の改修工事がおこなわるようで、梅園の所々がフェンスで囲まれて、立ち入りができない状態になっています。それだけに、近くで見ることができる梅の木は、非常に貴重なのにと思いました。でもまだまだ2月一杯は観梅ができると思います。是非足を運んで欲しいと思います。

 

  俳句の中にも梅の花!

  ところで、1月24日付けのある新聞で、「ねんてんさんの名句旅」という記事を読みました。そこには「梅」題材にした2句の歌が載っていました。まだ1月で、梅が咲き誇る前の記事だったので、ちょっと早いかなと思いながらも読んでみました。今回は、大分咲きだしているので、ちょうどよいかなと思い、その記事を紹介します。一つ目の句は、服部嵐雪さんの「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」です。服部嵐雪さんは、1654年生まれで江戸時代の人で、松尾芭蕉に師事した人です。この中の「梅一輪」をどうとらえるかをねんてんさんが解釈しています。初めの見方は、まだまだ寒いけど「梅が一輪だけ咲いた」というとらえ方です。つまり、季節的には大寒頃の歌でまだ寒中の頃の歌でしょう。そんな中でも、わずかに暖かさを感じた日に一輪の梅が咲いたのを見つけて、”寒梅”を愛でて詠んだ俳句だというとらえ方です。もう一つの見方は、もう少し後の時期のものではないかと思われます。「一輪一輪」と続くことから、実際に梅が一輪一輪と咲きだす様子を描いていて、日増しに春の暖かさが増す、”本格的な春の訪れを感じる”というとらえ方です。前者のとらえ方だと、季節はまだ冬ですが、後者は春になります。皆さんはどちらの捉え方だと思いますか。微妙ですね。ねんてんさんは、「作者の意図などにお構いなく、読者が自由に読める句」として、実はそうした句が名句として後世に残ると評しています。次の句は、片山由美子さんの「青空に 触れし枝より 梅ひらく」です。片山さんは、1952年生まれの現代の代表的俳人の一人です。この句は先ほどの句と違って、より視覚的に訴えてくるので、読んだだけでも目に浮かぶ句ですね。「青空に触れ」た枝から梅が咲く、という見立て方が楽しいということです。発想の面白さを感じますね。ねんてんさんも、「梅の枝には意思があって、青空に積極的に触れる枝、青空を無視する枝などがある感じ」と言われています。そして「青空に触れた枝は、空から『咲け」という指令を受け取ったのだろうか。あるいは、青空とキスをしたか。ともあれ、その意志ある枝をそうぞうすると、心がなんだかうきうきする。梅見に行きたくもなるだろう。」と評しています。最初の句は、春の訪れの兆しを見つけた時の感動を心情的に表した句で、次の句は、春の澄み切った青空と梅の鮮やかな色や枝ぶりとが綾なすコントラストを情景的に詠んだ歌でした。そちらの俳句もなるほどと思いました。厳しい冬を乗り越えて、匂いも香しく凛として咲く梅そのものが、感動を呼び起こすのでしょうね。この際、梅をモチーフにした、他の俳句や短歌に触れてみたいと思いました。

 

<一首> 青空に 突き伸びし枝 その先に

     咲きたる梅の なんと誇らし