流産から学んだ決別と決意 | 日蓮宗妙浄寺✳︎寺嫁れいこ 手を合わせる・プリザーブドフラワー・お経カード

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\仏さまに繋がって、豊かに生きる/

*365日護られイキイキ過ごす
*お寺空間で自身のいのちを受け入れる

 

藪木れいこです。

 

流産を告げられたとき、私ができることって何かを考えた

 

このことで、ちょっとディープなことを書きます。

 

 

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記事の最後に

 

【いのち】という神秘的な領域の現象から

私がお空の子に教わったメッセージは

何が大事か

何を自分が尊重しているのか

もっと知りなさい

です。

 

それは、私がお寺に居ることを

最大限に応援してくれている

メッセージなのです。

 

って書きました。

 

 

ちょっとぼんやりしていて

核心を書いていなかったのです。

 

 

 

こことも関係するのだけれど

親の発想の内側で生きてきた私。

 

だからもちろん、親と仲は悪くないです。

 

だけど、これは否定できない。

自分が

母性原理にのみ込まれている

精神的にコドモだということ。

 

 

母性原理について詳しくはこちら

「のみこむ母」について詳しくはこちら

 

 

で、結婚していても

私の心の深い部分は

そこから抜け出ようとはしてなかったのです。

 

 

それがダメだって思ったのが

 

赤ちゃんがだめってわかったときの対応力。

 

 

「これは誰にでも起こりうることです」

「原因を探さないことです」

「貴女が悪かったからではありません」

 

 

事実は、これ以上でもこれ以下でもないんです。

 

 

意識を向けるべきことについて

夫は態度がはっきりしていました。

「とにかく(私の)身体が第一で」

っていうこと。

 

 

悲しいと思っているなかで

今できる、最善のことをしていこうって

励ましてくれた。

 

 

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だけどこの時

母が全く違う反応でね。

 

「病院をかえたら結果が違うかもしれない」

「内診されたのが、ダメだった」

「私が食卓に座っている方位が悪かった」

・・・云々。

 

そして泣く。

 

 

母はね、純粋に

結果がひっくり返ってほしかったと思うの。

 

ショックも大きかったことは分かります。

それだけ心配だったんだと思う。

 

 

 

でも私たちは

 

「だから病院をかえてみてもらおう」

「だから内診した先生に『どうして内診したんですか』って聞こう」

「だから方位をかえよう」

 

とはしませんでした。

 

 

 

私が自分で決めて

母の想いと決別の方へ動いたのです。

 

 

私はこれからどこで生きていくのか。

一番に理解しあっていくのは誰か。

 

 

自分が向き合うのは母ではない。

 

これからの自分の人生を作るのは

自分であり、

一緒に作っていくのは

夫であること。

 

 

 

その私たちをつないでくれたのが

お寺なのだから

お寺のためになることを一生懸命続けていくのが

自分の人生であること。

 

 

そこをはっきり自覚したのが

流産した時だったのです。

 

 

遅い!って思う人もいて当然だと思います。

 

 

だけどこの痛手を負わなければ

私が自覚しないって

神さま仏さまが判断したんだよ、きっと。

 

 

そう思っています。

 

 

 

このことをずーっと書くべきか書かざるべきか

迷っていました。

 

 

納得いかない人もいると思うけど

私がそのとき感じていたことです。