こんにちは。
ミリーです。






この2つの記事の総集編です。
私がどんな薬の副作用でステロイド糖尿病とステロイド白内障を発症してしまったか!?

わかってきたことを書いておきますね。
これもそれぞれが辛くて辛くて書けなかったことでした。
わかったたびにたくさん泣いたり、
ぶつけようのない怒りムカムカがその当時はありました。

ではこの2つの続きです。
下矢印下矢印下矢印




無知は怖いものですね!



私は母が私を出産する時に、

鉗子分娩で右目の視力をこの世に生まれた瞬間に失いました。

それがわかったのは、小学5年生でした。



乾癬の中の尋常性乾癬を発病していると認識したのも同じ5年生でした。

たぶん3年生くらいから髪の毛の生え際と頭皮に出てました。

尋常性乾癬だと病名が初めて告げられたのは20歳頃でした。

それまでは原因不明の皮膚病でした。



中学生頃から乾癬は尋常性乾癬から乾癬性関節炎へと変わっていったと思われます。

そして同じ頃、強直性脊椎炎も徐々に起こっていたようです。



近くに住む同じ強直性脊椎炎のジョイナーさんと、

話をしていて確信したことがあります。

今の私は強直が起こってしまったこの図の1番下の状態ですね上差し

2ヶ所の強直のうちの1つをリハビリで、

胸椎の骨折をしたのはスワイショウの腕振りでした。


私の場合強直性脊椎炎は中学生頃からゆっくりと進行してきたと思われます。
そのため少しずつ痛む身体に私が順応して、
代償行為を繰り返して耐えてきたようです。
乾癬性関節炎が診断された時はすでにどちらもレントゲン撮影だけで確認されましたから。
壊れる方の乾癬性関節炎と作られてしまう方の強直性脊椎炎があったので、
1つしかない人とは異なることがあったと思います。

強直は全ての人に起きるわけではありません。
私には起きてしまっただけです。
その当時わかっていても、
おそらくステロイドやバファリンなどの痛み止めしかありませんでした。

20歳を過ぎた頃に痛みでたびたび整形外科と皮膚科に通院することが増えていきました。
その中で血液検査をされて、
その度に【リウマチではない!!】と言われ続けてました。
レントゲンにはもちろん何も異変はありませんでした。
そのため、
強く痛みを訴えると、、、
「詐病だ」とか、
「精神科へ行け」と言われていました。
当時は医師が【お医者だった】そんな時代でした。


就職して痛みに耐えかねて【腱鞘炎】かもと、
整形外科に通院することが増えました。
そこで出されたのがバファリンなどでした。
単なる痛み止めですが、無知だったので治療薬だと思っていました。
もともと真面目な性格で、
カッチリキッチリ治ると素直に信じて処方を守って飲んでました。

24歳頃、
腹部の激痛で大きな病院に行きました。
そこでトラウマになった大腸の内視鏡検査をします。
ストレス性の大腸の潰瘍が2ヶ所と診断でした。
潰瘍は広範囲で見つかり癌検査をされました。
結果は癌ではありませんでした。
癌化する可能性が高いと言われました。
炎症性の腸疾患が起きていたと思われます。
中学生から下痢と便秘を繰り返していました。
10代の終わりから、
痩せたり太ったりも繰り返すようになっていました。


この時の検査でもう一つ偶然わかったのが、
腎臓の機能低下でした。
生まれつき半分しか機能してない、
腎臓の働きが悪いと告げられました。
この時には下肢の浮腫みが辛かった時でした。
この当時は処方出来る最強の痛み止めがバファリンでした。
バファリンなどの(他は何かわかりません。)薬を2年間ほど真面目に服用してました。
切れたら痛くて仕事が出来ず、
吐き気で頭が上げられないほどでした。


腎臓は一族に悪い人はいませんでした。
でも祖母が最後に人工透析中になくなりました。
それが24歳の12月です。
そのため腎臓が悪いのかもしれないと不安を抱えるようになりました。
人工透析になるなると今の大学病院に行くようになった時まで、
それぞれの病院で言われ続けていました。

結婚してからは塩分をこれでもかと言うほど管理して生きてきました。
腎臓は痛み止めの副作用で起きたと思っていたので、
痛み止めを使わずに激痛に耐えてきました。
悪化した腎臓も元には戻りません。
今は年齢的に機能が低下しなければ、
この食生活で管理出来ているようです。

今でもバファリンやロキソニンは処方出来る最強の痛み止めです。
腎臓などの検査を受け続ける必要があると思います。
とても怖いので私は絶対に飲みません!
ステロイドも使いたくないのですが、
生きるために必要なのは悔しいけれど受け入れるしかありません。


腎臓が左膝の円盤状半月板の手術の後、
使った薬で悪化しました。
それを内科で治療する過程で何かの薬でアナフィラキシーショックを起こして、
大人喘息を発症しました。
これはかなり重症でした。
治療を続けるも悪化を辿りました。
寛解したのは民間療法でドイツでは処方箋がないと手に入らない薬を偶然食べたからです。
日本では健康食品の区分なので、
ここでは民間療法と書かせて頂きますねウインク


ここから先は①と②に詳しく書いています。


乾癬性関節炎と強直性脊椎炎が全ての病気を副作用の連鎖で引き起こした元になる病気です。


病気がわからず誤診されている途中で起こりました。
全ては数年から数十年経過して、
後になってわかったことです。


腎臓機能低下右矢印大人喘息右矢印ステロイド糖尿病と白内障

どれも後になってわかったことです。


右目が失明していること、
レミケード点滴をしてること、
そのレミケードに禁忌のステロイドが入っていること。
そのためステロイド糖尿病のコントロールに主治医が苦戦していること。

白内障が進行して、
白内障の手術を受けるにしても片目しか見えないので失明するリスクもある上に、
レミケード点滴をしていてステロイド糖尿病がコントロールが難しい状態です。
全てを理解して2つの膠原病を含めて、
コントロールしながら失明を防げる腕のある病院を見つけるのは手術がいよいよ必要になった時だと眼科の先生は言います。


ステロイド白内障であることだけが問題ではなく、
たくさんのリスクがあるからです。

白内障の手術は私が受けてきた手術の中でも、
簡易なものになります。
私は片目しか見えないので、
不具合があれば両眼失明となる可能性があることも受け入れが難しい理由です。


強直性脊椎炎でも脊椎の強直が起こる割合は低いんです。
私は若年で起こりゆっくり進行してきたと思われます。
レミケードの導入もアスペルガー先生が何も説明がなかったので、
本来なら2016年で導入した方が良かったと思われることが2017年となりました。
リウマトレックスもレミケードも私の2つの病気で使えるようになってから、
私は早い段階の方だったと思います。
若年での発病だったことと、
無知だったことで複数の副作用の連鎖が起こり、
今の不自由な身体となりました。


転院の問題は大問題で、
残るも地獄、転院先も限られるので受け入れが難しい状況です。

怒りがあったことも、
悲しくて悔しくて死にたいとずっと思っていたこともあります。
私にお金をかけるのが勿体ないと、
あまり治療費をかけたくないと思ってきました。
その時に出会った人のおかげで生きています。
ゴリさんが私が両眼を失っても、
「俺がいるから。ミリーさんみたいに気がつかないから、俺の目じゃ心配だろうけど。」
そう言ってくれてました。


残念ですが、
そのゴリさんももうここにはいません。
ゴリさんの分も娘の幸せを見届けたいですルンルン


死にたい、生きる価値がないと、
思わないようにしています。


私にも同じ苦しみを持つ
2つの膠原病の人のために出来ることがあると信じて参考になればと思っています。
誰にも相談すら出来ず、
わからないことばかりでした。
聞いて貰うだけでも違うんです。


アスペルガー先生が何1つ頼りにならなかったので、
とても詳しくなりました爆笑


私は運がいいので、
たくさんの優秀で信頼出来る心優しいスタッフさんや医師もたくさんいます。
信じているんです!!
転院も何かも1番良いところに落ち着くと。
今は不安や心配がありますけど、
何1つ不安や心配のない人生なんてないから。
良いことも悪いことも半分半分です爆笑


病気のことなど心置きなく一緒にご飯が食べられるジョイナーさんにも出会えましたハート