こんにちは。今回のブログは、飯田と土居が担当します。今週も有意義な議論ができましたので紹介していきます 

 

2つの英字新聞を飯田が紹介します。 

 

一つ目のニュースはAI規制に関するニュースです。国際通貨基金によれば、AIは全雇用の40%に影響を与える可能性があります。先進国では、AIの利便性により生産性が向上している一方で、AIによりどんどん人間の仕事が奪われています。その一方、低所得国では、AIを駆使する技術力が足りていないため、AIの雇用は26%に留まっており、今後、国家間での不平等を加速させることが懸念されています。このような状況の中、世界各地でAIの技術規制の動きが強まってきています。EUでは、AI規制の法律が暫定合意され、中国でも開発と導入に関する国家規制を導入しました。

 

 1つ目の質問は、AIの規制に賛成か反対かです。多くのゼミ生が賛成しました。やはり、多かった理由はAIがどのような悪影響を人間に及ぼしていくか想像がつかない部分にありました。具体的には、AIが人間の仕事を奪うのではないか、フェイクコンテンツや、個人情報の抜き取りによるプライバシーの侵害が増えるのではないか、また、AIが便利になることによって人そのものの能力が向上しなくなっていくのではないか。近年、CHATGPTの登場が世論をざわめかせました。予測不能な速度で便利に発展していくAIに、不安を感じる人は少なくありません。賛成派の多くは、AIをすべて規制するのではなく、あくまで、人間のサポート役としての利用を望みました。その一方で、反対派の生徒は、AIの発展は人手不足解消や生産性の向上など強いメリットを持っているため、規制する必要はないんじゃないかという意見もありました。

 

2つ目の質問は、Alよりも人間の方が向いている仕事についてです。多くの人が、人の心理やコミュニケーションに関係する仕事、医者、看護師、カウンセラー、サービス業などが挙げられました。また、創造性を伴う仕事や顧客のニーズに合わせて広告などを作る仕事、芸術家や音楽家なども挙げられました。逆に、AIのが向いている仕事はという質問では、タスクなどの管理や一定のマニュアルがある仕事、不適切な動画を削除する仕事があげられました。 どんどん進化していくAI技術、飛躍した技術と私たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか。 

 

2つ目のニュースはアリゾナ州の中絶問題についてです。

 1973年、連邦最高裁は、中絶は憲法で認められた女性の権利だと判断しました。ところが、2022年に連邦最高裁はその判決を覆し、憲法は中絶する権利を与えていないと判断しました。1973年の判決が覆されてからは、各州に中絶規制の判断が委ねられました。アリゾナ州では、1864年に中絶をほぼ全面的に禁止する法律が制定されていました。上記で記したように、1973年にアメリカ全土で中絶の権利が確立されたため、この州の法律は施行されていませんでした。しかし、2024年4月9日アリゾナ州最高裁判所は、この中絶禁止法を有効とする判断を示しました。アリゾナ州では、160年前の州法が再び施行されるかどうかをめぐって議論が続いています。

 

 1つ目の質問は、アリゾナ州で1864年の中絶禁止法が施行されることに賛成か反対かです。ほとんどの生徒が反対の意見でした。多くの生徒が女性の権利として中絶があるべきだと主張しました。望まない、あるいは予期しない妊娠は、女性に大きな負担がかかります。もちろん、中絶は女性のみの問題ではありません。しかしながら、実際に子供を産むことによって、身体的、精神的、将来的に大きく人生が変わってしまうのは、女性であるのです。そのため、経済的に子供を産むのが困難であったときに、その子供はどうするのか、その子供は幸せになれるのか、また子供が生まれることによって、女性の社会的な進出を妨げるのではないかという意見が出ました。さらに、中絶は女性が決めるべき最後の選択であるという意見も多く出ました。中絶を規制するということは、女性の権利を規制することと同じように考える人が多いようです。

 

 2つ目の質問は、この方が施行されることによって社会や女性にどんな影響があると思うかです。やはり、女性の社会でのあり方に影響が出るのではないかという意見が多かったです。子供を生まなければならなくなると、女性は、仕事を退職したり、学校を退学したりという選択をせまられる場合があります。また、望まない妊娠や予期していない妊娠は、経済的困難にする可能性を高め、また、虐待される子供が増えてしまうのではないかという意見も出ました。さらに、中絶の権利は、女性の権利の一つという考え方から、男女の不平等や女性の権力の低下に繋がるのではないかという意見もありました。最後に、病気が発覚したからなどの予期した妊娠の中絶についても考えるべきという意見もでました。近年、技術の進歩により、薬で中絶できる時代になりました。少子高齢化、生命倫理など様々な観点からも考えていかなければならないのかもしれません。 

 

ここからは土居が担当します。

 

 授業後半では「これからの『正義』の話をしよう」第3章を読んで、リバタリアニズムについて話し合いました。 

まず、リバタリアニズムについて賛成か反対か議論をしました。結果として、半分の人が賛成し、半分が反対しました。賛成意見として、他人に迷惑をかけない自由かつ自分自身に関係がなければいいという意見が出ました。また他にも、自分は自分、人は人という考え方から、人の決断に口出しをする権利はないという意見も挙がりました。 一方、反対意見では、個人の権利を主張するのは分かるが自分勝手であるという意見がありました。また、リバタリアンは個人間の感情が強いため、自由と括るのは難しいという意見も出ました。 

 

次に、貧困者を助けるために富裕層へ課税を課すことついての賛否を問いました。貧困に陥っている方を助けるのは大事だが、自分が頑張って稼いだお金は自分で使う権利があるという意見が出ました。「自分で得たものは自分のもの」この考え方はリバタリアニズムのひとつです。類似している意見として他にも、課税もある程度許容する必要はあるが、働く意欲がない人に課税によって利益を得るのは理不尽だという意見が挙げられました。また、富豪の家に生まれるか貧困の家に生まれるかを自分で決めることは出来ないという社会的な問題も関わっているのではないかという意見もありました。 

 

リバタリアニズムは一見、自己中心的な面があるため社会では上手く共存できないように見えるかもしれません。しかし、お互いの考えを理解し尊重し合えればリバタリアニズムも上手くいくのではないかと感じました。 

 

ゴールデンウィーク明けの初授業お疲れ様でした!今回の議論も、異なる価値観を尊重しつつ、議論を深めることができたので有意義な時間になったと思います!

ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか?Q1のゼミも残すところ二回です。残りも楽しく頑張りましょう!

こんにちは!GWが終わってしまいましたね。だんだん暑くなってきたので、体調に気をつけつつ、頑張りましょう!
今回のブログは、服部と山本と伊藤と瀬谷が担当します。

最初2つの記事を服部が担当します。
まず、中国製電気自動車の米国の輸入を禁止する記事についてです。バイデン大統領の発言に関しては反対意見が多かったです。国際問題に発展する可能性や、中国製自動車のほうが技術的にもコスト的にもリーズナブルならば、中国製を購入したいと思うからといった意見があがりました。また、外国アプリやサービスの利用を控えたことがあるかについても、控えたことがある人が多かったです。規約事項を見て判断し、個人情報の流出など恐怖を感じたら使用を控える。トコジラミなどの衛生問題から使用を控えたことがあるといった意見がありました。


次に、イギリスの下院が2009年以降に生まれた人を対象にタバコの販売を禁止する法案を可決したことについての記事です。この法案については、意見が割れ個人的に面白かったです。賛成意見としては、タバコのゴミも問題になっている。喫煙者にもその周りの人にも健康被害が出るため、禁止するべき。若者の中には興味本位で始める人がいることに加え、一度吸い始めると辞めるのが難しいため、禁止するほうが良いといった意見が挙げられました。反対意見では、自由の権利をはく奪しているのでは。パッケージも健康に影響を与えるといった記述があるため、個人の自由と判断に任せるべきなどの意見がありました。日本への導入に関しては、賛成意見も多かったと思います。個人的には、喫煙者だけが健康被害にあうなら個人の自由で良いのですが、他人に匂いや副流煙といった被害を与えるのなら禁止してくれたら嬉しいと思いました。ただ禁止することで、たばこ税による収入が減ることも考えられるのではという意見もあり、たばこを吸うことは良いが、飲食店での完全禁煙や歩きたばこの罰則を重くするといった方向で制限する方法もありなのかなと感じました。

ガザ進行に対する大学キャンパス内で起こったデモ活動について山本が担当します。話し合いの中では、多くの人が大学生の大学での抗議活動に反対していました。その理由として、教育の機会を守るために、政治と学術活動の場は分けて、別の公共スペースで政治活動はやるべきであるという意見が出ました。しかしこの公共スペースという考え方に基づくことで、公共スペースであると認識されてしまう大学での抗議活動に繋がっているのではないかと考えられました。一方、大学での抗議活動に賛成の意見としては、抗議活動が規制されるのは表現の自由の侵害であると意見が出ました。抗議活動は市民の発言の場として認められるべきものです。しかし、大学の授業に影響が出るほどの騒動は政治と無関係である学術活動の妨害となるため、ルールや規制が定められるべきです。

気候変動対策に関する記事について、伊藤が担当します。
欧州人権裁判所は、スイスの気候変動対策が不十分だと市民が主張し、国を訴えた裁判で、スイス政府の気候変動への取り組みは欧州人権条約8条の「私生活および家族生活の尊重を受ける権利」に違反するという判決を下しました。訴訟を起こした市民の多くが70代の高齢女性たちで、年齢と性別のために、気候変動による熱波の影響で、外出できずに健康被害を受けたと述べています。
この記事の内容に関連して、まず、気候変動対策が不十分であることが人権侵害にあたるのかどうかを話し合いました。気候変動は健康問題をもたらす上に、自然災害も引き起こし、人々の生活を制限しているため、人権侵害にあたるという意見が出ました。その一方で、気候変動は自然現象であるし、国や政府は限られた予算の中でベストを尽くしていると思うため、それが人権侵害にあたるとまでは言えないという意見もありました。
次に、気候変動によって考えられる健康被害はどのようなものがあるかについて議論しました。気候変動によって食物があまり育たなくなることで起きる飢餓問題、ヒートショックといった健康被害が挙げられました。
この議論を通して、地球温暖化の加速や、猛暑日の増加、水害や土砂災害などの自然災害の発生など、気候変動が地球にもたらす影響は大きく、それによって様々な健康被害が生じていることを改めて実感しました。人と自然が共生するための方法を今後も模索していく必要があると思いました。

ここからは瀬谷が担当します。
ゼミ後半では「池上彰の世界の見方 アメリカ」の第3章について議論を行いました。
2050年問題から見るアメリカ、特に人種構成の変化について(2050年に白人の割合が低くなる)色々な意見が出ました。アメリカで留学されていた花木先生、アメリカに住んだことのあるゼミ生や留学でアメリカにいた生徒からは確かに昔に比べて白人の割合が減り、街中でも白人、黒人、ラティーノ、アジア人など様々な人種が混在しているという発言がありました。また、地域によってもその割合は異なるようで、ゼミ生が留学していた地域ではラテン系の生徒が多かったそうです。
 次に、人種の多様化が高まっている現在において白人の割合が高まることで何が問題になるのかということに焦点を置きました。2050年問題を問題視しているのは、他の人種グループに勢力を奪われる白人のみだけではないのかという意見もありました。特に、ブルーカラー労働者の白人が、安い労働力で彼らの仕事を搾取していくラティーノを始めとした不法移民に対して警戒しているのではないかという意見に多くのゼミ生が共感しました。実力主義のアメリカで、黒人、ラテン系、アジア系のアメリカ人、いわゆるマイノリティ集団が有名な大学を出て、ホワイトカラーの仕事をしている人も一定数いるという事実を受けて、ブルーカラーの仕事をしている白人が自身のステータスの低さを移民のせいにしているという意見も出ました。このような意見から、アメリカ国内における階級やステータスを考える際は人種で分けて考えるのではなく、人々の居住地や経済状況を考慮して考えるべきだという意見にまとまりました。

日本ではまだ馴染みのないトピックですが円安の影響で日々外国人観光客が増えています。今後日本における外国人労働者が増えていく可能性もあるでしょう。グローバル化していく日本に適応していくためこのゼミで学んだことを活かして正しい知見を身に着けていきたいですね。

こんにちは!今週のブログは田中と宇治川が担当します。

 

今回は Alice Hong 教授の講演会に参加させていただきました。

Hong 先生は台湾にある Fu Jen Catholic University の教授で、現在は南山大学で留学生に日本文化を教えています。アメリカのウィスコンシン大学マディソン校からマスコミュニケーションの博士号を取得されています。

そんな Hong 先生から今回日本とアメリカの広告の違いについて教えていただきました。

いくつかの違いがありましたが、特に印象に残っていることを四点紹介したいと思います。

 

まず、日本の広告には可愛い要素が含まれているということです。例えば車の広告では、アメリカではカッコよく性能を伝えているのに対して、日本では小さな子供を連れた家族が車でピクニックに行く様子でアピールしています。また、パペット人形などを使って、ユーモアに宣伝することもあります。このように、日本の広告には心温まる内容のものが多く、アメリカとは異なる形で広告を作っています。

 

二つ目に、日本の広告はアメリカのものと比べて保守的であるということです。日本では美しい自然や祭り、着物などの日本文化を利用した広告が多く、日本人に馴染みがあり安心感を覚えるような気がします。一方アメリカでは、チャレンジ精神が示されており、新しいことをしようと促している内容が多いです。このように、広告には保守的な日本と挑戦的なアメリカとで違いが顕著に現れています。

 

三つ目に、日本の広告はアメリカの広告に比べて競合会社に対する対抗的なメッセージを含むことがあまり理想的ではないという点です。アメリカではペプシが、ハロウィンの時期にペプシの缶がコカ・コーラのロゴが記載されたマントをまとっているイメージ広告を打ち出しました。その広告には“We wish you a scary Halloween!” (恐ろしいハロウィンが訪れますように!)と記載されていました。これはコカ・コーラをドラキュラがまとうマントのような、「悪」のイメージを彷彿させようとしたものだと考えられます。しかし、これに対してコカ・コーラは同じイメージ画像を使用して、”Everyone wants to be a hero!” (皆がヒーロになりたいのだ!)とペプシの挑発に反発しました。コカ・コーラは、ペプシとは真逆に皆が憧れるヒーローがまとっているマントのイメージを「」。このようにアメリカでは自社広告に他社の商品を載せることが頻繁にありますが、日本ではそのような広告は滅多に見かけません。

 

最後に、日本には人間関係を重視した広告が多く、それに対しアメリカの広告はより論理的で科学的であるという点です。このような傾向にある主な原因として、日本はハイコンテクストな社会、アメリカはローコンテクストな社会と見なされているからです。それゆえ、日本の広告は見る人の心に刺さり、共感を促すようなテーマが多い中、アメリカの広告は売り出す商品の特徴や情報が中心に描かれています。そのため、アメリカの広告はどこの国の人が見ても理解しやすいが、日本の広告は文化を全く知らない人が見ても、その広告が意図したいメッセージが伝わらない可能性があります。また、日本の多くの広告が15秒である点が、より受け取り手の理解を難しくしていると言えます。

 

このように、普段何気なく見ている広告ですが、国によって内容が異なり文化の違いを表しています。今回は特殊な授業でしたが、貴重なお話が聞けてとても興味深かったです。次回のゼミはゴールデンウィーク明けですが、元気に頑張りましょう!