天使の恋物語 6
その講師の人は小説を書くような人だから、メッセージでも言葉が素敵な人だった。その年は、月食とか色々あって、会えない時も月食見た?というようなやり取りがあった。その場に一緒にいないのに、「一緒に見たよ」って言う人だったのね。1度目はそういうこともあるのかなって思ったりもして、違和感があったけど飲み込んでしまった。私は自分に正直でなく嘘つきになっていた。その人は、実際に会って楽しく過ごした時には「一緒に楽しく過ごしたね」とは言ってこなかった。一緒にいない時に、そういう言い方をする。単身赴任の海外経験が長くて、これが海外だったら、そうとでも言わなければ、かっこがつかなかったり、さびしかったりしたのかもしれない。日本国内で電車に1時間も乗れば会えるような距離だったので、逆に会わない意思を感じたりした。私の中の抵抗が大きくなったのは、誕生日のお祝いに食事をご馳走してもらったときに、抱きしめられてキスされてから。その人に大きな好意を持っていたんだけど、突然でびっくりした。たぶん、私の中で忘れていた「男は誘拐犯」という思いがよみがえったんだと思う。そのときは気がついていなかった。言葉にならないけれど、私の笑顔が消えちゃった。そんな自分が面白い。好意があるのに、怖いという。そのあと、先方も忙しかったし、私も余裕がなくなっていた。講座は月1回ペースぐらいで続いていたけれど、私が時間を間違えたり参加できなくなったりして、隔たりができた。そして、友達と出かけた夜景スポットの写メをメッセージしたりすると、「一緒に見れて嬉しかった」というようなメッセージが続くようになった。一緒にいたのは友達であって一緒にいないよね、というもやもやした気持ちが膨らんで、ある日はじけた。耐えられなくなったというか。その日は前に亡くなった父の遺品の整理をしていて、寂しく心細い日だった。違和感がずっとあったけど、耐えられなくなったのは私の心がゆとりのない切ない日だったからだ。ほんとは一緒にいないのに、そんな言い方嫌だ、我慢ならないと伝えた。私の事情は伝えていなかったが、びっくりした先方から、「我慢ならないという、その表現は強い表現だから、やり取りやめます」と返信が来て、それっきりになった。裸の王様だった。おだてられて無いものを着ている気分になっている裸の王様。メッセージのやり取りだけで実態はないのに、愛されているような気持ちになっていた私は、裸の王様みたいだ。既婚者との親密なやり取りはするべきでないという、自分の中の何かがずっと行動を止めていて、苦しかった。それは解消されたけど、今度は喪失感に苦しんだ。会える回数が少なかったから、日常はそんなに変わらない。それも苦しかった。1年以上、毎日やり取りがあったから、その人を思うことが日々の習慣になっていた。今も思い出しては、その人に送るメッセージを考えてしまう自分がいたりする。時間が経って苦しさはなくなってきた。可能なら、また、新しい出会いを得てときめきに満ちあふれた日々を送りたい。その後、年商10億超えの女性起業家と知り合った。話を聞いていると、不思議とその講師の人から影響を受けたことにつながる何かがある。趣味とか興味のある分野とかではなくて、ものごとの考え方や捉え方というか。ビジネスで成功した人は、どこか同じ質があるというのかな。似ているんだ。だとすれば、その講師の人は、底辺にいた私の人生に現れてくれた天使の一人だったのかもしれない。何かを望むことすら諦めていたから。役目を終えて去って行ったということだ。自分の人生のこれからを模索していく。今、これから。