やっぱり 山と猫か | いろんなものの鎮め方

いろんなものの鎮め方

物忘れがひどくなったので、メモ代わりに・・

金曜日

なんだか

落ち着かない


仕事の締め切りが近づくが

やる気が全く出ない


まるで

テストの前みたい


やっても

やらなくても

たいして差がないから

まぁ いいかなぁ・・

っといたとこか


所詮 それだけの人ってことで

それを受け入れるのも

いいかもしれない・・


てことで

今日も 読書

椎名誠の『遺言未満、』



2020.12.21刊だ


のっけから

人間と他の生き物の違いの話が進む

・・それは

自分がいつか必ず

死ぬということを

知っているか

否か


ということだとー


それはあるよねー

良いか悪いかは別だけど・・


読んでるうちに

椎名ワールドに引き込まれて

世界が広がる


よしよし これこそ

読書の力だ

お昼ご飯を丼にして



あっつあつを食べた



『遺言未満、』も

そのまま 読了


椎名誠も歳をとると

これまでの総括をしながら

後悔も

沢山の思い出とともに


エンディングのセレモニーに歩みだしてる




さて

食後の片付けをして

濃いめのインスタントコーヒーでも

入れるとしますか


手にしたのは

読むのが2回目の益田ミリさんの

『そう書いてあった』

短い短いため息のようなエッセイが

続いてく


親や肉親 友人

彼女のエッセイは

賑やかなおしゃべりの中で

少しだけ

キョトンとしてる女子の

イメージだ

以前読んだのは2019年


苦しみから

新たなる 世界に 投げ出された時だった


あれから3年半か・・長かったぁ

サラサラと読み 潤う


続いて読み始めたのは

椋鳩十の本

全集の第二巻



「動物文学」

「児童書」

の印象とは違う さんか(山窩)小説だ

山窩とはお山のことを言うらしい・・

椋鳩十さんが

お父さんから聞かされてきた話しを


少し前

昭和の前の 山の人の暮らし

生きると言うことの本質と凄さ


動物文学の根っこが

書かれている そこ

そこにあるような気がした


お茶☕️タイムは



まるごといちご🍓

山窩の人たちからは

考えられないような

今の暮らしだなぁ


書き残してくれて感謝・・


続いて
椎名誠の『殺したい蕎麦屋』



2007年から10年あたりのエッセイらしい




帯の部分がイケてる


初めから

動物ネタだ

今までつきあった犬 から始まるエッセイは


自分の付き合った犬🐶のことも重なって

しみじみする 泣きそう・・

最後に 西表島で

 小学生の時に分かれたジョンに会えて

椎名少年 良かったね


続いては(辺境の食事)

椎名誠の本は

地球は広く

環境は多様

生きるとはこういうことだ!!

を見せつけてくれる


幸福感 皆違ってて当たり前!

って 頭をこづいてくれるとこが

大好きだ


全部おんなじ色に染められてる

日本だって

そうかもしれない


地方によって

「えっ?そうなんですか?」は

あるある だもの


一律に

人の幸せを

うんぬんするんじゃないよ!

って 自分に言いたくなるから

不思議だ


現実を見て

しんどいなぁー

って勝手に思ってる自分が

恥ずかしい・・

何様ですか? かもね


自分の物差しで

全てを測っては

いけないな


今の私には

良い薬だ


(殺したい蕎麦屋)に  せやなぁ

と うなずき


("本場"と"本格"には気をつけよう)は

ほんとや ほんとや と手をたたき


(なくていいもの)に  声を出して笑い


迫り来る

晩御飯の支度開始時間を

気にしながら

読書がとまらない


七草粥は

お家にあるお野菜7種で雑炊を

作ることにした

大根・葱・人参・ほうれん草・菜の花・もやし・しめじ

あたりで いかがでしょう


お正月で食べすぎのお腹を労って

・・卵で



七草雑炊



卵で



箸休めは

樟葉駅構内で買った

鹿児島



焼いて・・



春を告げる 菜の花



日本酒が 実にあう!


さつま揚げは

生姜醤油に

おろし大根とポン酢を絞って・・



テレビは

スキーの大回転だ


速い人は

軽やかで 楽そう

力みがなくて

無駄がない


自然にできるところまで

完成してるってことか


見てて 美しいわぁ


食後

『殺したい蕎麦屋』の続きに

手を伸ばす


(倦怠俳句)は

メールのやり取りに

良いかもないぁ

まったりしながら

読み終える


(一枚の写真、

 妻のヒトコトー嫌になった、そのときに)  


 が 良かった

紆余曲折

誰にもそんな時代があるのさ

って

椎名さんが言ってくれてる


今日は

仕事から逃げて


椎名誠さんを2冊

益田ミリさんを1冊

椋鳩十さんを1冊

に浸って過ごした


それぞれの本は

しっかりかくまってくれるんだけど


やっぱり 自分が自分を隠さない

(せやな〜そんなこともあるよな〜)

とか

(やっぱり あかんなぁ)

とか・・


そんなことを思いながら 寝た

土曜日の未明


ふと目覚めて また本に手が

養老孟司さんと名越康文さんの

『「他人」の壁』



軽い気持ちで読み始めたら

とまらない


"他人のことなど理解できるわけはない

自分のことだってわからないのに"

から始まり


"どんな大義名分だって自意識から出てる限り単にエゴイズムじゃないのか"

も飛び出したと思えば


真言密教の「方便こそ究竟(くきょう)なり」

なんて 出てくる


でもなんか 方便って 嫌だなぁ


いろいろ 二人の話を読みながら

私自身が

養老孟司さんから聞きたかったのは


"「俺は世直しのために生まれたわけじゃねえ」

「世間は俺より前からあるんで、俺の都合出てきてるわけじゃねえ」と開き直ったりしながらも

手にした 違和感は抱えたまま

 煮詰ったら ごちゃごちゃいわずに

森や山に逃げ込み 癒されて


違和感を抱えたまま 生きて

人生という"作品"を完成させるのですなぁ"


という養老先生の人生論だった


フムフム そうかもしれない


更に 養老先生は

"確かに

 違和感を持って生きるのは

ストレスだけど

そんな時は 

まる(😼)でも見てたらいいじゃないのぉ"

とすまし顔で

おっしゃる・・


(うちには😼いないんですよね)


やっぱり

😼と🌲🌳🌲ですか・・


そんな感じで気づけば

朝が来てた